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2015年8月

2015年8月29日 (土)

ブログ報告(2015年7月・8月)

 今年の夏はとっても暑かったが、それでも8月も終わる時期になると、今年の夏もあっという間に終わってしまったな、という印象になる。東京は今日は10月並みの気温だし、かなり秋の気配が近づいている。

 まあ、そういうこととは関係ないのだが、約1ヶ月間新規更新をお休みしていたこともあるので、今回は7月と8月をまとめて2ヶ月分のブログ報告をしたい。

 まずは、約2ヶ月間のアクセス数と訪問者数から。

Blog_access1507 Blog_access_1508

PV 1217 日平均: 約21
UU 418 日平均: 約13

 アクセス数(PV)の日平均が多少減っているものの、新規更新お休みの期間を含め、毎日アクセスがあり、訪問者数(UU)の日平均は6月(約14)とほぼ同程度であった。(アクセスして下さった皆様、ありがとうございます。)

 次は、デバイス別の割合。

Blog_device1508

PC: 42.24%(6月:41.40%)
iOS: 34.18%(6月:35.11%)
Android: 21.36%(6月:22.30%)
ケータイ: 1.73%(6月:1.07%)
その他: 0.49%(6月:0.12%)

 こちらも、これまでとほぼ同様の割合。個人的には未だにスマホを持っていないこともあり、まだまだPCが健在なのを見ると何となくホッとする。

 もう一つ、アクセスランキングは次の通り。

Blog_rank1508

 新規更新お休み中に掲載した本の紹介がほとんどランク外だった。まあ、数学に関連する本ばかりだったし、アクセスが少なくなってしまったのは致し方ないことなのか、と思うしかない。

 一方、上位を占めているのは、折り紙関連のページが多い。検索でアクセスだと思うが、折り紙関係ページの7月8月2ヶ月間のアクセス数(PV)は

2位「変形折り鶴」 101
4位「カテゴリー:折り紙・作図など」 45
5位「何に見える?」 40
6位「立体折り紙「その1」」 32
7位「Sonobe module(そのべ式ユニット)」 29
10位「あじさい折り(基本形)」 23

で、合計が「270」。この2ヶ月間の全アクセス数の約22%を占めている。

 ということで、今回は2ヶ月間まとめてブログ報告をした。実は、よく見ると、折り紙関連のページは平均滞在時間でも2分から3分と長い。やっぱり、また折り紙関連のネタを増やすようにしていった方がいいのかもしれない。

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2015年8月24日 (月)

ケンブリッジ(Cambridge)出張

 約1ヶ月間更新をお休みしていたので、久しぶりのブログ再開になる今回は、7月後半に出張で行ったイギリス・ケンブリッジを紹介したい。

 ケンブリッジは、中世の頃から、街中にカレッジが点在する大学の街として有名な学園都市。今でも中世からの古いカレッジの建物がたくさんある。

P7221823

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 次は、ニュートンがいた、というトリニティ・カレッジ。

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P7221838
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 この白い像が、ニュートンのようだ。

 ちなみに、私が宿泊したのは、ケンブリッジの中心部にあり生物学者ダーウィンが学んだ場所として有名な、クライスツ・カレッジ。

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 ベンチに座ってる像が、若かりし学生時代のダーウィンらしい。

 ところで、ケンブリッジ(Cambridge)という地名の由来、意外と単純で「ケム(Cam)川」に「橋(bridge)」がたくさん架かってるからだとガイドブックに書かれていた。確かに、川は小さいが橋はたくさん架かっていた。

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P7221821

 この2つの目の木の橋は、俗に「数学橋」と呼ばれている。数多い橋の中でも異彩を放っていて観光客が大勢見に来ていて。私も気になって橋を渡って来た。

P7221829

P7221830

 ということで、今回はイギリス・ケンブリッジの写真を紹介した。ここ1、2年の間はアメリカの方へ行くことが多かったが久しぶりにヨーロッパの方へ行った。また行く機会があるかどうかわからないが、数日間イギリスの雰囲気を感じることが出来て、いい経験になったと思う。

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2015年8月19日 (水)

(再掲載その22)本の紹介「不可能へのあこがれ」

********2014年3月8日掲載********

 私としては、いろいろと仕事が忙しい時期になってきているのだが、その一方で学生達は試験も終わって春休み、という時期だと思う。

 そんな時期に、専門書とまではいかなくとも中身が濃い数学の本を読むのも悪くないかな、とことも考えて、今回はそんな本を一つ紹介してみようと思う。

 最近、翻訳された「不可能へのあこがれ ―数学の驚くべき真実―」とう本。

 紹介する前に書いてしまうと、実はこの本、以前私もお手伝いした「数学公式ハンドブックポケット版)」を翻訳した柳谷晃先生と内田雅克先生が訳した数学の話の本である。

 内容は、序文の最初に書かれている「不可能を受け入れる」という言葉の通り、数学の発展の歴史の中で「不可能」と言われているものを如何にして数学に取り込んできたか、という話がメインになっている。

 わかりやすい例で言えば、例えば「無理数」のような自然数の比(分数)で表せない数を「(正の)数=数直線の長さ」と認識する、なんていうのが挙げられるだろうか。ただ、この本はそんな程度の話では終わらない。

 そんなこともあって、数学を本格的に勉強したことがない人にとっては少々難しく感じるかもしれないが、専門書ではないので、本格的な数学の話をちょっと覗いてたいと思っている人には比較的読みやすく、いい感じだと思う。

 例えば最初の章「無理数」は、「音律」の話から「自然数の比」「無限小数」「無限に続く計算(アルゴリズム)」「連分数」「方程式を解く」と続いて、章の終わりに改めて「音律」の中に現れる無理数の話、という流れになっていて、最初の章を読むと(無理数の代表例として)「√2という数」をどのように理解するか、という数学の話に触れることができる。

 中学や高校の数学だと「実数=数直線上の点」という捉え方から、無理数を含む正の数を「線分の長さ」という幾何的なものとして考えることが多いかもしれないが、さらに進んで数学の内容を知ろうと思ったら、「数」を(加えて「直線」も)「計算」を通して理解することが必要になってくると思う。

 本の話に戻ると、この無理数の話に続いて、方程式を解く話から「負の数」「虚数」、その後に「遠近法・水平線」の話から「射影幾何学」という言葉と、「幾何学と代数学の融合」という雰囲気の話が続く。

 さらに「無限小」「曲がった宇宙」「4次元」などなどの「不可能(と思われるもの)を受け入れる」という話が続くが、実はそれらの全ては表紙の絵にもなっている「ペンローズの三角形」という、実現不可能と言われている図形を数学として受け入れるために必要な事柄になっている、という構成が面白い。

 古代の時代にピタゴラス学派が存在を認めなかった「無理数」や、現実にはない数と言われている「虚数」の話自体も「不可能を受け入れる」という話だし、そんな比較的理解しやすい話から始まって、長い道のりを経て最終的に「不可能な図形」として知られる「ペンローズの三角形」へたどり着くという話の流れが、邦題タイトル「不可能へのあこがれ」の雰囲気を出している気がする。

 ということで、今回は春休み読むのにどうだろうか、思う本を一つ紹介した。全体を通して理解するのは難しいかもしれないが、個々に書かれている内容自体は、中学数学+高校数学が少々、という知識で読むことはできるだろう。

 値段が少々高く、ちょっとした小遣いで買う感じの本ではないのだが、それだけの内容はあると思う。文庫や新書本などにある数学っぽいことが書かれた本に飽きたら、こういった本も手に取って損はない気がする。

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2015年8月14日 (金)

(再掲載その21)(本の紹介)その数学が戦略を決める

********2013年2月1日掲載********

 前回、ブログで「統計的な解析による指標」の中で、「その数学が戦略を決める」という本を紹介した。実のところ、私がこの本を読んだのは5年くらい前なのだが、最近文庫版が出たようだ。文庫版が出るということは結構売れている本なのだろうと思うので、今回は簡単にこの本の紹介でもしてみることにした。

 タイトルには「数学」となっているが、中身の方は前回書いたように「統計」にまつわる話がメインである。まあ、「統計」は「数学」の一部だと言えばそうだとは思うが、数学全体に関する話ではない、ということである。

 数学全体にまつわる話の本では、例えば夏頃にブログで紹介したの本(「数学は最善世界の夢を見るか」「不可能、不確定、不完全」)などがあると思うが、これら少々難解な部分があるのは否めないかもしれない。

 一方、今回紹介する本は、統計にまつわることを、様々な話を交えながらわかりやすく話しているうえに、各章の最後に丁寧に「まとめ・ポイント」が2ページ程度に書かれている。このようなものなら、高校生くらいなら普通に読める内容だろうし、中学生でも意欲がある人なら大丈夫だと思う。

 内容は、前半は前回紹介したワインの質の話など、統計的な解析による指標を認めたがらない専門家の反応を交えながら、如何に統計的な解析が優れているか(あるいは専門家が信用できないか)という話を展開している。

 例えば、第4章には医療現場での話が書かれているが、その最初の方に約170年ほど前のゼンメルワイスという人の話が載っている。この本によると、この人は勤めていたウィーンの産院で産褥熱(さんじょくねつ)に関する詳細な統計調査を1840年ごろに完成させている、とある。

 具体的には、調査の結果、「診療所の医師や看護師が患者を診る前に塩素入り石灰水で手を洗えば産褥熱による死亡率が12%から2%に下がる」ということを発見したそうだ。要するに手を消毒してから患者を診察すれば(今で言う)院内感染は防げる、という当たり前とも思えるような結論だが、170年前の医師たちからは猛反発をくらった、と本には書かれている。

 何故反発されたかについては、この本にはそれほど書かれていないが、興味がある人は例えばwikipediaなどに詳しく載っているようなので、そちらを見るといい。この本には、(当時としては)驚異的な発見をしたにもかかわらず主張が受け入れられなかったこの人は、後に神経衰弱になり失意のうちに亡くなった、ということが書かれている。

 「消毒のために手を洗う」ということは今では常識だと思うので、当時の人たちが統計調査の結果を受け入れなかったことに憤慨する人が多いかもしれないが、現在でも似たように(100年以上たったら常識になっているかもしれないことを)単に「数学や統計がよくわからないから」とか「専門家でない人に何がわかる?」などと言いながら取り合わないことも結構多いような気もする。

 こういった本を読むと、どんなことでも何らかの根拠に基づいて得られた結果は(たとえ自分自身が理解できなかったとしても)尊重していく姿勢が如何に重要か、ということを思い知らされる。

 このような話に続いて、本の後半(第6章以降)では、統計的な解析の手法にまつわる話がわかりやすく書かれている。専門書ではないので、この本を読んだだけでは統計的手法の勉強にはならないかもしれないが、何となく「統計をもう少し真剣に勉強してもいいかな」と思わせるように文章が書かれているような気がするのがいい。文庫本は低価格で購入できるし、もしかしたらそのうち古本屋にも出まわるかもしれないので、もし見かけたら、たまにはこういった本を読んでみるのもいいのではないかと思う。

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2015年8月 9日 (日)

(再掲載その20)(本の紹介)不可能、不確定、不完全

********2012年8月1日掲載********

 今回紹介するのは「不可能、不確定、不完全(早川書房)」(2600円+税)というタイトルの本。内容をおおざっぱに言えば数学や科学・論理の限界について述べられている本でである。ただ、こう書いても、「何に対する限界なのか」がよくわからないかもしれない。その話をするために、早速この本の序章と第1章の内容をまずは簡単に説明しよう。

 序章には「修理に出した車はなぜ約束の日にあがってこないのか?」と題して、車の整備工場を例に「車の整備を効率よく済ませるために最適な方法は?」ということを数学的に考えている。また、第1章は「万物の尺度」と題して、無限のものを測る、というテーマの話が書いてある。

 この最初の部分の構成は、視点や内容は全く異なるものの、前回紹介した本の最初の部分(時を測るのため最適な形の振り子の話)と同様に「最適なものは?」「測るとは?」の2点がクローズアップされている。

 前回紹介した本との違いは、前回は近代科学の発展の歴史に沿って「最適なものを得る」「正確に測る」ことを述べていたのに対し、今回紹介する本は、論理的な考え方を中心にして「最適なものは得られない」「正確には測れない」ことについて書いている、と言えばわかりやすいだろうか。

 ということで、今回紹介する本で述べている「限界」とは主に「測ること」「最適なものを得ること」の2点と論理に関するものだと考えていいと思う。

 具体的な内容は、本のタイトルにある単語と対応させて「不可能性定理(第4部)」「不確定性原理(第1部)」「不完全性定理(第2部)」などとなっている。このうち、不確定性原理は計測の限界、不完全性定理は論理の限界に関する話で、結構いろいろなところでとり上げられているテーマだろう。

 また、この本には不可能な作図についての話も書かれているが,ここでとり上げている「不可能性定理」とは、そのことではなく、選挙などの投票に関わる社会科学の話である。具体的には、次の3つの条件
(1) 全員が他の人に影響されず、合理的に投票する
(2) 全員がBよりAの候補者を上位だと考えたら必ずAの方が投票結果で上位になる
(3) 敗者(下位の候補)がいなくなっても投票結果が変わらない
を全て同時にみたすような投票方法は存在しない、という定理である。

 ポイントは最後の条件(3)である。例えば「A、B、C」の3人の選挙でAが1位になるとして、負けたCをのぞく「A、B」の2人で決戦選挙をした場合もAが1位になるか、ということを考えるといい。この条件(3)は、それでもAが1位になる、ということを求めているが、実際にはCを支持する人の多くがAを支持しているとは限らない。(ここでは、単に順位のみを問題にして、例えばCに投票した人の割合などは考慮しないものとする。)

 この点を数学的に考察して証明された結果が「不可能性定理」である。これによると、「全員が他に影響されずに投票するとき、全員がAを上位だと考えている場合を除けば、3人の投票で1位になったAが2人の決選投票でも必ず1位になるような投票方法は存在しない」ということになる。

 また、逆に「AとBの2人で選挙をしたらAが確実に勝つような場合でも、全く勝つ見込みのないCも合わせてA、B、Cの3人で選挙したら、AとBのどちらが勝つかはやってみなければわからない」という話にもなる。

 ちなみに、この点は、前回紹介した本の後半に書かれている「共通善」という項目にも関連している。そこには「個人の利益を最適化することで集団はどうなるのだろうか?」という問いかけをした上で「メンバー全員が合理的だと仮定したとしても、皆が善いと考える共通善を定義することは十分難しい」ということが述べられている。

 今回紹介している本に書かれている「不可能性定理」は、前回紹介した本に書かれている「共通善」の定義の難しさを数学的に表現した定理のひとつで、社会科学の中で「最適なものは何か」という問題を考えることの難しさを示すものだろう。

 以上の話の他にも、この本には「プログラムの停止性問題」「相対論・ひも理論」「量子コンピュータ」「カオス」「エントロピー」など、様々な話題をとり上げている。だから、いっぺんに通して読めなくとも、興味のある部分のみだけでも、結構読み応えがあり勉強になると思う。

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2015年8月 4日 (火)

(再掲載その19)(本の紹介)数学は最善世界の夢を見るか

********2012年7月28日掲載********

 社会人の方は、今は仕事が忙しく休めるのはずっと先になるし、外は梅雨があけたようで夏の厳しい暑さが続き、気分的にめいってしまいがちな今の時期。かといって、ここで何もしないで過ごしていても特にいいことはなさそうな気がする。

 一方、中高生や大学生などは、これから長い夏休みに入る。いろいろと計画を立てている人もいるとは思うが、中には長期休暇の間に何か意味のある勉強をしてみたいと思っている人もいるかもしれない。

 そんなとき、勉強をかねた読書をしてみたらどうだろうか。ということで、久しぶりに数学にまつわる本を今回と次回の2回に分けて紹介してみたい。

 最初に書いておくと、今回と次回に分けて紹介する計2冊の本は、最近よく見かける手軽な算数・数学の読み物に飽きた人が、もう少し読み応えのある(難しい)数学の読み物を読んでみたいと思ったときに適している本なのだが、正直なところ結構高額な上にページ数も300から400ページもある。

 だから、読んでみたいと思った人は、とりあえず図書館などで探して試しに読んでみて、さらに時間をかけて読みたくなったら購入してみる、という感じがいいと思う。

 今回紹介する本は「数学は最善世界の夢を見るか?(みすず書房)」(3600円+税)というタイトルの本で、近代科学の発展の歴史の中で数学がどのように関わってきたのか、といったことが書かれている。ある程度の数学に対する興味・知識がないと全部通して読むのはきついかもしれないので、難しいと感じる部分は飛ばしながら読み進めていってもいい。

 そんな内容の本を私がこのブログで紹介しようと思った理由のひとつは、この本の最初の章にある。その最初にある第1章には「時を刻む」と題して、「正確な時刻を測る」ことに関する話が、第2章の「近代科学の誕生」に先立って詳しく書かれている。

 内容を要約すると、ガリレオの唱えた「振り子の周期は振り子の長さによっては変わるが、揺れの大きさやおもりの重さには影響を受けない」という性質は、厳密には間違っていたが、そのアイディアが後の科学の発展に大きな影響を与えた、という感じとなる。

 ガリレオといえば、ピサの斜塔で重さの異なるものを落下させる有名な実験のことを思い出すが、何故ガリレオが「重さの異なるものが同時に落下する」という事実を調べる必要があったか、ということは知らない人が多いのではないだろうか。

 この本の第1章を読むと、その理由が何となくわかってくると同時に,科学の発展の中で「計測する(時を測る)」ことが如何に重要かという点を考えることができると思う。

 また、この本の主題は「最小作用の原理」「最適化理論」という話なのだが、この最初の章は、「時を正確に測る」ために「最適な形」の振り子を得るまでの歴史が数学の知識がない人にもわかるように書かれていて、その後の章にある少々難解な話の理解を助けているような気もする。

 あと、これは蛇足だが、このブログで先日とりあげた「うるう秒」の話に関連して、この第1章を読むと「時刻」に関する歴史を知ることもできる。

 第2章以降は、たぶん著者の癖なのだろうが、具体例をあげたり、話が脇道にそれながら、いろいろなことを書いているので何が重要なのかわかりにくい部分がある。ただ、その具体例や脇道にそれた話の中に結構面白いものもあったりする。

 例えば、動物の生態系は環境によって複雑に変化する、という話の具体例として203ページから204ページに載っている、「南アフリカ西海岸に近いマルガス島海域ではバイガイを食べるロブスターが生態系の最上位にいるが、そこから4kmほど離れたマーカス島海域ではバイガイがロブスターを食べてしまうため、ロブスターは全くいない」という話などは、私自身が面白いと感じた話のひとつである。

 また、本文ではなく巻末にある付録の部分だが、「付録3 運動の幾何学」のところは(脇道にそれることなく)普通に数学と科学の関わりについて書いてある。付録と言っても50ページ近い分量があるので、この部分を読むだけでも数学や科学の勉強になるだろう。

 ということで、今回はここまでにするが、次回は別の本の紹介をする予定にしている。最近、数学や算数に関する本をよく書店で見かけるが、個人的には、どれも少々物足りないような気がしている。一方、今回紹介した本は、逆に内容的に重すぎる印象を与えるかもしれないが、たまにはそういった本にチャレンジしてみるのも悪くないと思う。

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