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2014年8月

2014年8月29日 (金)

ゴリラの学習の成果

 以前、5月26日のブログで「ITの世代間格差?」という話を紹介した。内容は、ゴリラの子供がタッチパネルを使って勉強するようになった、という話。合わせて、このときには母ゴリラの方は関心を示さなかったため、タイトルにあるように「世代間格差」という内容になっていた。

 それから、この続報がいくつかあったので、今回はそれをいくつか紹介したい。

 まずは、6月23日に朝日新聞のサイトに紹介された「ゴリラの赤ちゃん、数字のお勉強 京都市動物園」という記事。

 そこには、子ゴリラの学習が順調に進んでいて、「1」と「2」の数字の順番を理解したようだ、という内容。その内容を報じる動画があったので、貼付けておくことにする。

 8月6日の産經新聞のサイトには「天才ゴリラ誕生? 京都市動物園のゲンタロウ、数字学習に成果」という記事もあり、8月初旬には「1から5まで」の順番を覚えて、現在は「6」までに挑戦中、とあった。

 さらに昨日、動物園の地元京都新聞のサイトに「母ゴリラ、子をまね「学習」 京都市動物園、文化広がりの一端」という続報が載った。何と、5月ときには関心を示さなかった母ゴリラが、子ゴリラの学習行動に触発されたのか、自ら進んで学習するようになった、という話題だ。

 「文化の広がり」という話かどうかはわからない。実際、学習が進んできた子ゴリラが楽しそうにタッチパネルをさわってるのが羨ましく思えたかもしれないし、子ゴリラがご褒美に餌をもらっていたのが羨ましかったのかもしれない。

 ということで、今回は簡単だが、ゴリラの学習の話の続報を紹介した。まだ始まって数ヶ月しか経っていないが、ほぼ1ヶ月に1回くらいにペースで続報があるので、そのうちまた続報を紹介出来ればと思う。

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2014年8月24日 (日)

ブログ報告(2014年8月)

 約1ヶ月ぶりの新規更新。今年の8月も、いろいろと忙しく疲れも溜まっている感じだが、今回はお休みしていたこの1ヶ月間のアクセス数など、ブログの報告をしたい。

 まずは、アクセス状況から。

Blog_access_1408

PV 591 日平均: 約17
UU 276 日平均: 約8

 新規更新をお休みしていたこともあるし、アクセス数が少なかったのは仕方がない。ちなみに、昨年も同じように8月は1ヶ月ほど新規更新をお休みしたが、そのときには、アクセス数(PVに相当)の日平均が約25、訪問者数(UUに相当)の日平均は約14だった。

 こうしてアクセス数をアクセス数の報告をするようになったのは、ちょうど今から1年前の夏休みの間のアクセス数を報告したのが最初だった。

 1年前に同じように新規更新をお休みしたとき、それでも毎日アクセスがあったことに感謝したい、という気持ちもあって、毎日のアクセス数の表を画像にして貼り付けたが、今年も同じように少ないながらも毎日アクセスがあった。(ありがとうございます)

 また、デバイス毎のアクセスは次の通り。

Blog_device_1408

PC: 37.37%(前回:30.24%)
iOS: 44.33%(前回:44.00%)
Android: 14.89%(前回:20.96%)
ケータイ: 2.88%(前回:3.84%)
その他: 0.17%(前回:0.96%)

 前回と比べて、Androidスマホからのアクセスの割合が少し減ったようだが、全体的な傾向はほぼ同じのようだ。

 ということで、今回は簡単だが、ここ1ヶ月のブログのアクセス状況の報告をした。

 この1ヶ月、ブログはお休みしたが、仕事は結構忙しく、ナンダカンダと疲労が溜まっている感じだ。何とか乗り切って行きたいとは思うのだが、ブログの方は、もう少し文章量を減らしたり、などと考えながらやっていく形にするかもしれない。

 まあ、今はそう思っていても、次の5日後の更新のときにどう考えているかは、そのときになってみないとわからないので、ネタを含めて次のことをまた考えよう。

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2014年8月19日 (火)

(再掲載その15)IT発展の歴史を素数で繋ぐ

****2012年6月6日掲載****

 素数とは、1とその数以外に約数を持たない自然数のことで、小さい順かくと「2」「3」「5」「7」「11」「13」「17」「19」...となっている。今回は、これをネタに何か文章が書けないかと思いながら、これらを加えた数(2+3+5+7+11+13+17+19=77)にちなんで今から77年前となる1935年に関する事柄をインターネットで検索して調べていたところ、コンピュータの歴史に関するイラストを見つけた。

 それは、「The iPad of 1935」や「米誌、1935年にiPadを予言」などのページに載っていた、1935年4月にとある雑誌に掲載された「未来のブックリーダー」のイラスト。見た目はiPadとは全く似ていないが、77年前に想像したものだから仕方がない。

 ただ、このイラストと「iPad」を繋げて話をしているページを眺めていたら、何となく面白そうな予感がしたので、今回はここから素数の和を使ってコンピュータや情報端末の歴史を追ってみることにした。

 そこで、次に素数を一つ減らして、2から17までの素数の和(2+3+5+7+11+13+17)となる58年前の1954年を検索した。すると、今度は「The 1954 RAND Home Computer」というページを見つけた。ここには、1954年にある雑誌に掲載された「50年後の home computer」と題する写真があった。ただ、よく見ると、これは当時のジョークのひとつとして掲載されたものらしい。58年前の常識では、家に置けるコンピュータなどはジョークの域を出ない代物と考えられていたのかもしれない。

 また一つ減らして、2から13までの素数の和(2+3+5+7+11+13)となる41年前の1971年で検索して見つけたページを見る。そのページに載っている写真のコンピュータも、1954年のジョークの写真と同じくらい大きなマシンだが、これは現実に動作している正真正銘の「コンピュータ」。調べてみると、この1971年は現在のMac OS XやAndroidなどで使われているOS(オペレーティング・システム)の原型とも言える「UNIX」の初代(Version 1)が発表された年だそうで、このページに載っている大きなコンピュータにその「初代UNIX」が実装されている。

 今度は時代が現在にぐっと近づいて、2から11までの素数の和(2+3+5+7+11)となる28年前の1984年。実は、この1984年は、Appleの「初代マッキントッシュ」が発売された記念すべき年にあたる。この時期から、コンピュータは「机の上で使う時代」に突入する。

 次は2から7までの素数の和、2+3+5+7=17年前の1995年。この年、マイクロソフトのOS「Windows95」が発売された。Appleのマッキントッシュから11年も後のことだが、パソコンの「Mac」と「Windows」の歴史が素数で繋がっているのも不思議な感じである。

 さらに素数が一つ減って、2から5までの素数の和、2+3+5=10年前の2002年は、同じくマイクロソフトの「Windows XP」が発売。マイクロソフト全盛の時期も素数で繋がっているようである。

 残る素数はあと2つ。2つの素数「2と3」と合わせて5年前の2007年を見る。この年には、Appleの「iPhone」が発売された。これまでは机の上に乗せて使うコンピュータの時代であったが、ここで、いよいよ手に乗せて使う時代に突入した。

 そして、最後は今から2年前の2010年。Appleの「iPad」は、この2010年に発売されている。こうして、想像上のイラストが発表された77年前から、現実の「iPad」の発売までの歴史を素数を使って繋げることができた。

 今回は「素数」をネタに何か書こうと思っていたが、結果的にIT発展の歴史に関する話になってしまった。まあ、久しぶりに数字を使って楽しく文章が書けたので、これでよしとしよう。

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2014年8月14日 (木)

(再掲載その14)過干渉?それとも無関心?

****2012年3月14日掲載****

 昨日、NHKのニュースに「中学生母親 3割が夏休みの宿題手伝う」という話があった。調査は、関東の東京・神奈川・千葉・埼玉の1都4県で行われ、約3200人の母親から回答をもらったそうである。それによると、

・ふだん学校の宿題を手伝う...15.8%
・夏休みの宿題を手伝う...32.5%
・学校や塾のノートに目を通す...39.3%

で、ともに10年前に比べて増えているそうである。

 このニュースでは、さらに「子どもが大人になり、独り立ちできるか不安を感じている」という母親は「あてはまる」と「ややあてはまる」を合わせて46.2%あった、という点から、「就職状況の厳しさなど、将来への不安が親に大きなプレッシャーになっているのではないか。その結果、子どもにアドバイスをしなければいけないという気持ちが強くなっていると思う」という専門家の分析を最後に紹介している。

 この調査結果をどう理解するべきだろうか。確かに、このニュースの分析は間違っていないような気はする。しかし、例えば「子供の宿題に無関心な母親からの回答が減った(あるいは、回答を拒否した)」などの場合でも、これら回答のパーセンテージが上がる可能性もあるかもしれない。

 もし、回答しなかった人が増えているのだとしたら、「子供の宿題に対して、より無関心な人が増えた」という見方もできる。これが本当なら、分析の結果も大きく異なってくるような気がする。

 現実には「子供にアドバイスをしなければならない気持ちが強くなった人が増えた」ということと「子供により無関心になった人が増えた」という両方のことが同時に進行している、というのが正しいのではないだろうか。

 私自身は、何事もバランスが大事だと考えているので、「過干渉も無関心も共によくないので、程よいアドバイスをする」ということが重要だと思うのだが、これもなかなか難しい。

 そういうこともあるので、この前書いた「数学力不足に対する認識」の新聞記事と同様に、このようなことをニュースにするなら、もう少し「親はどう接するべきか」ということや「子供自身がどのように行動するべきか」という点について具体的でわかりやすい提言が欲しいような気がする。

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2014年8月 9日 (土)

(再掲載その13)数学力不足に対する認識

****2012年3月2日掲載****

 今回もまた新聞で見たネタになってしまうが、先週「大学生 数学力足りない」という記事があった。何でも、国公私立の48大学の5934人を対象にテストを行い、結果を分析したそうである。

 記事は、「大学生の4人に1人が「平均」の意味を正しく理解していない」という話から始まり、テストの結果を「論理を読み取ったり、記述したりする力が不足している」と分析している。

 また、最後の方では「大学入試や中学・高校の授業で記述式の証明問題を増やすことを提言した。」という話で締めくくられていた。

 以前、「分数ができない大学生」という話があった。これは、1996年出版の本で、タイトルのつけ方がよかったのか、当時「学力低下はここまで進んだか」とか「大学生にもなって、こんな計算ができないのか」といった感じで結構話題になったと思う。

 また、このタイトルを見ると、数学教育の問題という意味だけでなく、「これではだめだから、もう少し勉強しなければ」といったような意味合いも読み取れるようなインパクトがあり、私も10年ほど前には授業などで話をしていたりした。

 一方、今回の「数学力が足りない」という話は、多くの人にどのように受け止められているのだろうか。正直なところ、「やっぱりか」とか「まあ、こんなものだろう」という感想を持った人が多いのではなかろうか。

 それに「4人に1人が平均の意味を正しく理解していない」という話も何だかインパクトに欠ける。さらに、記述式の証明問題を授業や入試の中で増やすべき、という提言も、結局のところ何が言いたいのかよくわからない。そもそも、誰に提言しているのか、という点も不明確な気がするし、何とも中途半端な感じである。

 私自身、今の中学・高校の数学教育に問題がないとは思わない。しかし、この新聞記事を読んでみても、「ちゃんと数学を勉強しなければ」というモチベーションが上がるような気がしないのは私だけだろうか。

 私は偉そうなことを言える立場にはない。ただ、折角新聞に記事を載せるのだから、調査・分析の結果から見える「数学力不足に対する認識」をわかりやすい形で示してほしい。

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2014年8月 4日 (月)

(再掲載その12)数学との接し方

****2012年2月3日掲載****

 コメントありがとうございます。「後学の為に、どのように数学に向き合われていらっしゃるのか聞かせていただけないしょうか?」という質問に何て答えたらいいのか、とちょっと考えてみました。

 その上で最初に言い訳じみたことを書いてしまいますが、あまり偉そうなことを書ける気もしないので、これまでブログに文章を書いていた気分と同じように、何となく普段思っていることや感じていることをそのまま文章にしてみることにします。

 数学といっても、例えば方程式・不等式や図形・幾何であったり、数や計算・演算であったり、あるいは確率・統計などなど、様々な顔を持っていて、それぞれが独立しているようにも見えるし、お互いに関連し合っているようにも見える、という何ともつかみどころがないものだと思います。

 しかも、私自身はその中のほんの僅かの部分に接しているに過ぎませんし、数学に向き合っていると言えるほどのことはしていません。ただ、自分でも不思議なのですが、数学から逃げようと思ったこともなかったりします。

 その理由の一つに「数学の自由な雰囲気」が気に入っている、ということがあるような気がしています。確かに、「数学の自由」は非常に広大なうえ、とてつもなく奥が深そうですし、油断していると広大なところに取り残されてしまったり、奥の深いところで溺れてしまったり、など危険も多そうです。

 だからこそ、数学では物事の捉え方や考え方が大事、ということなのかもしれません。念のために付け加えると、「自由」とはいえ、数学の計算や証明は完璧でなければならないのは当然ですし、勘違いやミスをしたときにはそれを自覚できなければなりません。

 そういった数学の持っている性格もあり、現実には「数学の自由」の片隅で溺れたり迷子になったりしないように振る舞うことで精一杯で、必死になって正しい考え方を拾い集めながら進んでいくしかない、という感じなのですが、私はこの「雰囲気」が気に入っています。(以前、このブログでも数学の雰囲気を風景に例えてみました。)

 かなり抽象的な話になってしまいましたが、私自身が実際に普段やっていることは、何となく本や資料を見ているときに出ている式や数を使って計算したくなったりすると、自分のできる範囲でやってみる、といった程度です。例えば、ブログで何度か電力需用量の統計の数字を使って計算(四則演算)した結果を見ながら、電力需要の予想をする話()を書きましたが、このような感じです。

 まあ、計算してみるといっても気楽に書いてみる程度なので勘違いやミスが多く、ほとんどはいらなくなったコピーの裏などに計算してそのまま捨ててしまいますが、たまに、出てきた式や数値から(電力需用量の予想のように)何かを考えてみたくなることがあります。

 こんな感じで数学にふれ合っている、というところです。これが「どのように数学に向き合っているのか」という質問の回答になっているかどうかはわかりません。また、「数学の自由な雰囲気を伝えたい」と言っておきながら多種多様な数学の見方と真剣に向き合ったことがないとはどういうことか、というお叱りを受けるかもしれません。

 ただ、できる範囲で計算しているうちに、意味がよくわからなかった説明などが何となくわかったような気分になることもあります。その内容をきちんと理解するにはかなり根気がいりますが、その入口が自分でできる範囲の計算から、という形で向き合うことになるのだと思います。

 数学は一糸乱れることなく完璧なことを求めているような気がしますが、現実には人間はどこかでミスをする可能性を常に持っています。自分で計算するときにも、人に教えるときにも、その辺りのバランスを考えながら接していくことで「数学の自由の雰囲気」を感じることができればいいのでは、というところです。

 これ以上文章を書こうとしても、同じことの繰り返しになりそうなので、今回の回答はこのあたりまでにしようと思います。今後とも、ブログの方もよろしくお願いします。

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