« 「ロングテール」の話 | トップページ | そろそろ春の準備も? »

2013年2月25日 (月)

科学研究に対する考え方

 前回は、かなり長くなってしまった上に、後半の方は何となくまとまりがない感じで終わってしまったような気もするが、その話題はまた改めて別の機会に書くことにして、今回はまた新聞で見た記事の中で2月中頃のものを忘れないうちにとり上げてみたい。

 それは、「天才科学者はもう現れない?」というタイトルの2月14日の新聞に載っていた記事。具体的には、アメリカ・カリフォルニア大デービス校のディーン・シモントン教授という人が、「最先端の自然科学の研究はグループで行われるようになり、1人の天才が新しい科学を想像するのは難しい」という趣旨の文章を科学誌ネイチャーに発表した、ということらしい。

 気になって調べてみたところ、その元の文章はnature Volumu 493 Number 7434(31 January 2013)の中に掲載されている「After Einstein: Scientific genius is extinct」という文章のようだ。タイトルを日本語に訳すと「アインシュタイン以後:科学的な天才は絶滅している」になると思う。

 残念ながら、その中身は見れなかった(有料だった)が、Live Scienceというサイトに、この文章に対する意見として「Is Scientific Genius Extinct?」(科学的な天才は絶滅しているか?)という記事が載っていたので、そちらの方を読んでみた。

 その内容の前半は、私が(日本の)新聞で見た内容とほぼ同じで、元の文章の要約が書かれている。元が同じなのだから、要約も同じ内容に決まっているのだが、何となく違いもあるように見えたのが少々気になった。例えば、現代科学の進歩に関する部分で、日本の新聞には「現代科学の進歩は...知識を根底から変えるものではなく...アスリートのように、理論や測定の改善の競争に勝った科学者がノーベル賞を取り続けるだろうとした」と書かれている。

 一方のLive Scienceの記事には、最先端の科学研究について「It has also become much more difficult for an individual to make groundbreaking contributions, since cutting-edge work is often done by large, well-funded teams, he argues.」と書かれている。

 直訳すると「最先端の研究(cutting-edge work...「(天才的な発見ではなく)理論や測定を改善して精密に切り込んでいく研究」というニュアンスか?)は、より大きく資金が潤沢なチームによってなされることが多くなり、個人(an individual)が道を切り開く草分け的貢献(groundbreaking contributions)を行うのはかなり難しくなっている」という感じだろう。

 ともに言っていることは正しく、元の文章の趣旨に合わせて適切な部分を抜き出していると思うが、私は、その抜き出し方に何となく日本とアメリカのお国柄、というか、考え方の違いが出ている気がするのが面白く感じて、今回この話を取り上げてみた。

 というのは、日本の新聞の「競争で勝った科学者が...」という記述は間違っていないだろうが、よく見ると、アメリカのように「done by large, well-funded teams(より大きく資金が潤沢なチームによって行われる)」とは書いていない。

 この辺りは、「(お金があまりなくとも少数精鋭で)競争で勝ち抜いていく」という如何にも勇ましい日本的な感覚というか美学のような雰囲気が無意識のうちに出たのかもしれない。また、それに対して「とにかく規模を大きくする、あるいはお金をかける」という感覚も如何にもアメリカ的な気がする。

 まあ、ここではどちらがいいか、などという野暮なことは考えない。というか、どっちもどっち、という感じだが、個人的には「そんな中でも、(すぐには現れないかもしれないが)結局そのうち天才科学者は現れるだろう」と楽観的な気持ちを持っている、と書いて今回は終わりにしたい。

--------

Copyright (c) 2013 ANADA, Koichi. All Rights Reserved.

« 「ロングテール」の話 | トップページ | そろそろ春の準備も? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「ロングテール」の話 | トップページ | そろそろ春の準備も? »