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2012年9月10日 (月)

「脱ゆとり」を目指して

 今回は教育に関する日本の新聞記事の話。朝日新聞が9月5日から7日まで3回に分けて『「脱ゆとり」の真相』と題した連載記事を載せていた。内容的には、文部科学省の官僚の立場から「ゆとり教育には世間の誤解があった」などの言い訳じみた話がある一方、『これは「ゆとり」ではなく「ゆるみ」に映った』ということで、ゆとり教育を改め、「脱ゆとり」の教育へ方針を転換させていった、といった感じの話が書かれている。

 ここでは、ゆとり教育の賛否についてとやかく言うつもりは全くない。私がこの記事を読んで気になったのは、記事で「当時の文部省幹部の多くが、風向きが変わった一つの要因」と指摘している事柄である。

 それは、『円周率「3」の波紋』と題された話。小学算数の「円周率が3.14から3になる」「台形の面積の公式がなくなる」という2つの文言に対する世間の大きな反響が、「ゆとり教育」に対する風向きが変わった要因の一つだったと記事には書かれている。

 これらは大手学習塾「日能研」が1999年秋に広告で宣伝文句に利用されたものらしいが、前回紹介したアメリカの新聞での問題提起と同様、論点の絞り方がうまい。削減された数多くの項目の中で、あえて算数の2つのみを強調することによって大きな反響を得ることができたのだと思う。また、その広告による反響の後、官僚たちが「自分たちがやったことは悪くなかったのだが、方向は転換する必要がある」と考えて苦心した様子がこの新聞記事からよくわかる。

 ただ、私自身はこの件についても特に意見を述べるつもりはない。では何がいいたいのか、と思う人もいるかもしれないので、ここから話を少し変えることにする。というか、ここからが本題となる。

 今回は、日本の「脱ゆとり」の方向転換のきっかけになった事柄と、前回紹介したアメリカで問題提起された話に出てくる数学とのレベルの差について考えてみたい。

 「日能研」は主に中学受験の指導をする塾だから、話が小学算数に対する問題提起という形になっているのは当然だとは思う。ただ、ちょっと見方を変えると「日本では結局このレベルの話になるまで「ゆとり教育」の方針は変わらなかった」ということである。一方、アメリカだって日本の高校数学の内容を理解できる層はそれほど多くないような気がするが、それでも日本の高校1年か2年で学ぶ数学のレベルで議論をしている。

 おそらく、アメリカでは、たとえ理解できない人の方が多数だったとしても、議論する数学のレベルの下限は(多くの人が理解できるレベルに合わせるのではなく)あくまでも「必要とされる数学」に合わせる、ということなのだろう。ここで、「必要とされる数学」を一言で表すのは難しいが、例えば、このブログで1ヶ月ほど前に紹介した2冊の本の内容は参考になるかもしれない。

 これら2冊の本は外国の本の翻訳だが、内容的に難しいというか、日本の小学算数や中学数学では全く太刀打ちできないだろうし、高校数学のレベルでも足りないと思う。それでも(内容を理解できるかどうかをともかく)、そのような「必要とされる数学」に関する本の需要が(外国には)あるから、こういった本が出版されるのだろう。

 これから数学を勉強したい人、あるいは、せざるを得ない人にも、「数学は難しい」「これが何の役に立つのか?」「こんなレベルの数学は勉強しなくても生きていける」などなど、言いたいことはいろいろあるとは思う。それに、日本と外国は事情が異なる、という意見もあるかもしれない。ただ、たとえ理解することが困難な内容だとしても、レベルを安易に下げるのは慎んでほしい。

 日本とアメリカの新聞でとり上げられている数学の内容(レベル)のあまりの差に愕然としてしまうのは私だけかもしれないが、何故こうなってしまったのか、などと考えても話は始まらない。ここはプラス思考で、少しずつでも「脱ゆとり」を目指して進んでいくしかなさそうだ。

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