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2012年9月

2012年9月30日 (日)

現在ダイエット中

 突然だが、ダイエットというと何を連想するだろうか。例えば、広辞苑には

「美容・健康維持のために食事の量・種類を制限すること」

とある。また、大辞林で見ても同様で

「健康や美容のために、食事の量や種類を制限すること」

と書かれている。まあ、こんな意味なのだろうと納得できなくはない。ただ、かなりアッサリとしか書かれていない印象を受ける。こういっては何だが、広辞苑や大辞林は、ダイエットにはあまり関わりたくないのかもしれない。

 また、Wikipediaのダイエットの項目は、もう少し詳しく述べられているものの、その冒頭には「ウィキペディアは医学的助言を提供しません。」と明記されていて、情報の正確性を保証しないことなどの「医療に関する免責事項」もある。

 ところで、何故こんな言葉の意味を調べたのかというと、私自身が今年のなって太ってしまい、ダイエットをしなければと考えたからだ。具体的には、先月末の時点で、去年よりも約10kgほど体重が増えていた。

 当然急に増えた訳ではない。だいたい今年の4月くらいから体重が増え始めたと思うのだが、忙しさも手伝って運動する時間も減ってしまったうえに、周りから太ったことを指摘されることもなく、そのままほったらかしにしていた結果であった。

 そこで、実は今月に入ってから私もダイエットを実行していた。基本的には自己流で、ご飯の代わりにたくさんもらったジャガイモにしてみたり、肉は食べずに豆腐にしたりしながら、あとは野菜中心の食事にしてカロリーを制限をした、という感じである。

 「体重を減らすため」という目的が広辞苑や大辞林に書かれている「健康」や「美容」といった項目に入るかどうかは定かではないが、辞書に書かれているように食事の量・種類はかなり制限した上に、さらに、太ってしまった体に無理のない範囲で軽い運動を加えた結果、とりあえず先月よりも約6kgほど減ったようである。1ヶ月でかなり減ったようにも見えるが、それだけ太り過ぎだったということだったのだろう。

 ということで、今回は簡単にダイエットの成果について書いてみた。あとは、「ここまできたら、去年の水準まであと4kgほどだから...」と書きたいところだが、これからは減らすことよりもリバウンドに注意しなければならない。ちなみに、リバウンドを広辞苑で調べると

「ダイエットをやめたために、一旦減少した体重が前より増加すること。」

と書かれている。また、大辞林では

「ダイエットを中断した際にみられる体重の増加」

であるが、ともにダイエットの目的を「健康」や「美容」と曖昧にしている割に、リバウンドの結果については「体重の増加」と非常に明確に書かれていることに注意したい。こうやってみると、広辞苑や大辞林も、ダイエットを(やめたり中断したりせずに)行う目的は「体重の増加を防ぐため」と言っているようにも思える。

 一方、私自身の話に置き換えると、無理矢理これまでと同じ調子で食事の量や種類を制限していても長くは続かないのではないか、という気もしている。広辞苑に書かれている意味を考えると、「やめないように」と思ったがゆえに結局続かずに体重が増加してしまう、というのは何とも皮肉な感じがするが、それが現実なのかもしれない。

 いろいろと書いていたら、だらだらと長い文章になってしまったので、そろそろ終わりにする。結局、公になっている情報はダイエットには何の役にもたたないようなので、何とかリバウンドがないような方法を自己責任でこれから試していくことしかなさそうだ。

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2012年9月26日 (水)

人工知能の話題

 今月は、政治や外交などの大きなニュースが目白押しの毎日だったが、その陰に隠れてしまうようなニュースの中にも私自身が面白そうだと思ったものが結構あった。そのうちの幾つかはブログでもとりあげたが、それ以外のものをとり上げるタイミングを逸してしまった。そこで、今回はブログに書きそびれてしまった話題の中から人工知能に関する2つのニュースを簡単に紹介したい。


<1>
 ブログの今年最初の更新のときに、「ロボットは東大に入れるか - 国際的な人工頭脳研究プロジェクトが開始」というニュースを紹介した。ロボットが人工知能により、2016年までにセンター試験で高得点を挙げ、2012年までに東京大学入試を突破する、ということを目標にスタートしたらしいのだが、先日(9月10日)、そのプロジェクトに富士通研究所が「数学チーム」として参加する、というニュースがあった。
 富士通のサイトを見ると「富士通研究所では数理的な分析や最適化技術をはじめ、数学の問題を正確に解くために必要となる『数式処理・計算機代数』の研究を長年行っています。そこで、本年度からその技術をベースに、東ロボの数学チームに参画することとしました。」と書かれている。
 私は、現在人工知能がどの程度の水準にあるのかはよくわからないが、富士通のサイトに書かれていることを見ると、コンピュータで解く手順として「問題を読む->意味解析->立式->計算処理」という非常に具体的な解法も書かれていて、何となく期待できそうな気もしてくる。現状では5、6割しか解けないのが現状、とも書かれているが、今後の進展に期待したい。


<2>
 もう一つは「コンピュータは星新一を超えられるか」というタイトルのニュースで、コンピュータで星新一のショートショートを解析し、その結果から人工知能によってコンピュータにより新しいショートショートの文章を生み出す「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」というプロジェクトだそうだ。
 現時点では、まだプロジェクトの進め方を検討中、という段階のようだが、ニュース記事によると「各作品で起承転結や“オチ”があり、プロットが分かりやすいこと」「人が作品の作り方を語り残しており、プログラムに体系化できそうなこと」などが人工知能に適しているかもしれない、ということから、このプロジェクトを考えついたらしい。
 こちらの方は、全体総括の教授自身が「最初は駄作ばかりでてくるだろう」と話しているし、個人的にも結構無謀なプロジェクトのような気もするが、何でもやってみようという意気込みは伝わってくる。プロジェクトの成否はともかく、誰にでもわかる「オチ」がつくような面白い研究を期待したい。


 ということで、9月の前半にあった2つのニュースを紹介した。まあ、2つとも「東大合格」「星新一」という、日本人にはわかりやすいが世界の人にはよくわからない研究課題だが、これらのプロジェクトがともに成功したら、日本人の思考をコンピュータで再現する特別な人工知能ができるかもしれない。
 そして、もしかしたら数十年後には「実際の日本人より、コンピュータの方がより日本人らしい」なんて状態になっていたりするかもしれない、などと想像してみるのも面白そうである。

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2012年9月22日 (土)

30000を超えました

 カウンターの数値が30000を超えた。最近は数値の増え方も落ち着いていたような気がするが、「25000を超えました」を書いた後の更新回数が18回目で5000増えたことになる。(いつもアクセスして読んでくださっている皆様に感謝します。)

 この間の内容を振り返ってみると、教育や数学に関するニュースと本の紹介で7回と多くなったが、それは特に教育に関連するニュースが最近多かったからなのだと思う。

 このブログでは、そんな多くのニュースの中で学力に関する話題をとり上げてみた。その理由のひとつとして、この手の話題に対する新聞などの扱いが小さい上に新聞記事の内容も何となくマンネリ化してきているように感じた、ということがある。

 特に、数学・算数については、新聞記事を書いている人自身が苦手意識を持っているのか、それとも記者達が興味を持っていることとは異なるからなのか、何となく一歩引いた感じで無難に記事を書いているようだ、という印象を受ける。

 そんなことを感じていたときにアメリカの新聞を見て日本の新聞との内容の差に驚いてしまったこともあり、特に9月前半はこの手の話題が集中してしまったが、そろそろ気分を変えて違う話題にしようかと思っている。

 あと、7月後半から8月は学校の夏休みにあたる時期なので、高校の部活動の登山や野球、それと熱中症の話が4回ある他、夏休み前の助言などの意味を含め広辞苑からそれらしい単語を調べたり過去に調べたことを紹介したのが2回、それと軽井沢での大学生の夏期セミナーに参加した帰りに寄ってみたところの話が1回と、夏休みならでは話題が計7回。

 ということで、18回のうちの14回はこれらの話題を占めていた。私自身としては、もう少し自分自身で考えたオリジナルなネタを増やしたいと思っているのだが、最近18回の更新の中では結局「回文数の性質」が唯一のものとなってしまったようだ。

 忙しくて考える時間がないというのは言い訳じみていて、実際には少々ネタ切れ気味ということがある。例えば、6月の頃に書いた「IT発展の歴史を素数で繋ぐ」「多摩川のアユの数」や去年(2011年)11月11日に書いた「1並びの日」などのように本当に都合よく数字をピッタリ組み合わせてできる話はそう多くはないのだが、これから気分を変えながらネタを探していくことにしよう。

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2012年9月18日 (火)

もらったジャガイモ

 今年の1月に、もらった野菜の話をブログに書いたが、また先日ジャガイモをたくさんもらった。

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 食べきれないくらいたくさんもらったが、これでも今回は少し気を遣ってもらって、全て小ぶりのものだけになっている。

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 ということで、大量のジャガイモを少しでも減らそうと、早速、電子レンジ調理用の器に入れて3分ほど暖めて試食。

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 中身が詰まっている感じで、さすが農家から直接もらったジャガイモは美味しい。ただ、これだけ食べただけでは全然減らないので、さらに数日分の量をまとめて土鍋でとりあえず煮込んでみた。

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 ちなみに、一緒にいれたタマネギと舞茸・しめじは近所のスーパーで買ったもの。ということで、ここ数日は主食がジャガイモの生活が続いている。

 さすがにこれだけ食べると最初に美味しいと思った感覚がなくなってしまうのだが、やっぱり普通のジャガイモ(男爵いも)よりは美味しいようで、ある方から「これはキタアカリという品種なのでは?」という話もあった。

 「キタアカリ」という品種は、調べてみると、別名で「黄金男爵」とか「栗じゃが」などと呼ばれることもあるそうで、普通の男爵いもより黄色がかっていて、甘みがあってビタミンCやカロチンも豊富に含まれている、とのこと。

 実際に品種を聞いた訳ではないので、本当に「キタアカリ」かどうかはわからないが、美味しいものを食べている、と思いながらこれからジャガイモを減らす努力をしていくことにしよう。

 ところで、ちょっとだけ話が変わるが、このジャガイモは母方の田舎からもらったものなのだが、その母は福島出身なので、このジャガイモは全て福島産。

 さらに付け加えると、以前ブログで紹介した野菜も同じ。去年はいろいろと苦労したと思うが、今年のものは特に問題はなく安心して食べられる。

 ということで、今回はここまで。ここ何回か教育や数学に関わる堅苦しい感じの話題をブログに載せていたので、今回は気分を少し変えてみた。まだまだ残暑が厳しい感じだが、気分転換をしながら秋に向けてギアチェンジをしていくことにしよう。

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2012年9月14日 (金)

ハイレベルな日本の数学者

 前回のブログでは、日本の教育の中で議論されている数学のレベルに関する話だった。現状を見ると愕然としてしまう部分もあるのだが、実際には日本人の数学のレベルは今でも世界の中でも高い方だと思う。ということで、今回はそんな日本の人が関係する数学の話題を2点ほどとり上げてみることにした。


<1>
今年に新たに、数学で優れた成果をあげた研究者を対象にした「藤原洋数理科学賞」というものが創設されたそうだ。藤原洋という人は、数学ではなくIT関連の仕事をしている人だが、この賞は日本の大学と産業界が数学・数理科学関連のプロジェクト等で連携を図っている中で生まれたもののようである。第1回となる今年の大賞は「量子情報理論の数学的基礎付け」という業績を残した名古屋大学の小澤正直教授が受賞する。受賞理由をわかりやすく言うと、「ハイゼンベルクの不確定性原理」を数学的により精度が高い結果が得られる形に修正した「小澤の不等式」を提案したことによる。この賞の授賞式が9月30日に慶応大学で行われるそうだが、こういうときくらいは新聞で詳しく報道してほしい。

<2>
最近ブログで数学に関する話を度々とりあげているが、そんな中で知り合いの一人から「abc予想が解けたかもしれない、という報道がnatureのサイトに載っている」という話を聞いた。それによると、日本の京都大学・望月新一教授が、500ページにも及ぶabc conjecture(abc予想)の証明を載せた論文をリリースした、と書かれている。ここでは、abc予想とは何なのか、などの数学の話は割愛するが、フェルマーの最終定理などにも密接に関係する整数の性質に関わる内容で、これまで誰も解けていない難問である。当然、私にはそんな難しい内容を理解することはできないのだが、望月教授のウェブサイトには、先生自身が「感想・着想」を書いていて、それによると、この論文は「IUTeich理論」と呼ばれる話に関する4編の連続論文のようだ。そのなかで、abc予想の話は最後の第4編にあるらしい。また、この「感想・着想」に書かれていることを見ると、この論文は2008年7月あたりから執筆を始めたそうなので、完成までに約4年ほどかかっているそうだ。これから、多くの専門家が読んで証明を検証するのだろうが、間違えがなく正しい結果であってほしい。


ということで、今回は世界の最先端を進んでいる日本の数学者の話題をとり上げてみた。内容が理解できるかどうかはともかく、こういう日本のレベルの高い話題にも関心をよせながら、日本でもプラス思考で数学に関する話を見たり勉強したりしていきたい。

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2012年9月10日 (月)

「脱ゆとり」を目指して

 今回は教育に関する日本の新聞記事の話。朝日新聞が9月5日から7日まで3回に分けて『「脱ゆとり」の真相』と題した連載記事を載せていた。内容的には、文部科学省の官僚の立場から「ゆとり教育には世間の誤解があった」などの言い訳じみた話がある一方、『これは「ゆとり」ではなく「ゆるみ」に映った』ということで、ゆとり教育を改め、「脱ゆとり」の教育へ方針を転換させていった、といった感じの話が書かれている。

 ここでは、ゆとり教育の賛否についてとやかく言うつもりは全くない。私がこの記事を読んで気になったのは、記事で「当時の文部省幹部の多くが、風向きが変わった一つの要因」と指摘している事柄である。

 それは、『円周率「3」の波紋』と題された話。小学算数の「円周率が3.14から3になる」「台形の面積の公式がなくなる」という2つの文言に対する世間の大きな反響が、「ゆとり教育」に対する風向きが変わった要因の一つだったと記事には書かれている。

 これらは大手学習塾「日能研」が1999年秋に広告で宣伝文句に利用されたものらしいが、前回紹介したアメリカの新聞での問題提起と同様、論点の絞り方がうまい。削減された数多くの項目の中で、あえて算数の2つのみを強調することによって大きな反響を得ることができたのだと思う。また、その広告による反響の後、官僚たちが「自分たちがやったことは悪くなかったのだが、方向は転換する必要がある」と考えて苦心した様子がこの新聞記事からよくわかる。

 ただ、私自身はこの件についても特に意見を述べるつもりはない。では何がいいたいのか、と思う人もいるかもしれないので、ここから話を少し変えることにする。というか、ここからが本題となる。

 今回は、日本の「脱ゆとり」の方向転換のきっかけになった事柄と、前回紹介したアメリカで問題提起された話に出てくる数学とのレベルの差について考えてみたい。

 「日能研」は主に中学受験の指導をする塾だから、話が小学算数に対する問題提起という形になっているのは当然だとは思う。ただ、ちょっと見方を変えると「日本では結局このレベルの話になるまで「ゆとり教育」の方針は変わらなかった」ということである。一方、アメリカだって日本の高校数学の内容を理解できる層はそれほど多くないような気がするが、それでも日本の高校1年か2年で学ぶ数学のレベルで議論をしている。

 おそらく、アメリカでは、たとえ理解できない人の方が多数だったとしても、議論する数学のレベルの下限は(多くの人が理解できるレベルに合わせるのではなく)あくまでも「必要とされる数学」に合わせる、ということなのだろう。ここで、「必要とされる数学」を一言で表すのは難しいが、例えば、このブログで1ヶ月ほど前に紹介した2冊の本の内容は参考になるかもしれない。

 これら2冊の本は外国の本の翻訳だが、内容的に難しいというか、日本の小学算数や中学数学では全く太刀打ちできないだろうし、高校数学のレベルでも足りないと思う。それでも(内容を理解できるかどうかをともかく)、そのような「必要とされる数学」に関する本の需要が(外国には)あるから、こういった本が出版されるのだろう。

 これから数学を勉強したい人、あるいは、せざるを得ない人にも、「数学は難しい」「これが何の役に立つのか?」「こんなレベルの数学は勉強しなくても生きていける」などなど、言いたいことはいろいろあるとは思う。それに、日本と外国は事情が異なる、という意見もあるかもしれない。ただ、たとえ理解することが困難な内容だとしても、レベルを安易に下げるのは慎んでほしい。

 日本とアメリカの新聞でとり上げられている数学の内容(レベル)のあまりの差に愕然としてしまうのは私だけかもしれないが、何故こうなってしまったのか、などと考えても話は始まらない。ここはプラス思考で、少しずつでも「脱ゆとり」を目指して進んでいくしかなさそうだ。

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2012年9月 6日 (木)

論点を絞った問題提起

 前回、英語のニュースなどを久しぶりに検索して調べたこともあり、ついでに他にも面白そうな話はないかといろいろと見ていたところ、1ヶ月ほど前のある記事が目に留まった。

 それは、7月28日のニューヨークタイムズ誌の「Is Algebra Necessary?」という記事。「Algebra」は日本語で「代数」なので、この記事のタイトルを訳すと「代数は必要か?」ということになる。

 念のため、もう少し詳しく書くと、去年、ブログで「英英辞典の中の数学」という文章を書いたが、その中で触れている通り、この「Algebra」というのは「Mathematics=数学」の主要な分野の一つである。

 日本でも「数学は必要か?」という議論があったりするが、こういう新聞記事があると、アメリカではどんな話になっているのか何となく気になる。そこで、今回はこの新聞記事を見て感じたことを書いてみることにした。

 この新聞記事で「必要ないのでは?」と問題提起をしている数学のレベルは、日本で言えばだいたい高校1年から2年くらいで学ぶ方程式・多項式の計算や式の証明あたりのことを指しているようだ。例えば、記事の中で

But there’s no evidence that being able to prove (x² + y²)² = (x² - y²)² + (2xy)² leads to more credible political opinions or social analysis.

と書かれているが、これを訳すと「(x² + y²)² = (x² - y²)² + (2xy)²という等式を証明できることによって、より的確な政治・政策上の意見や社会分析ができるようになるはずだ、という考え方を裏付ける証拠はない」という意味になるだろう。要は、いわゆる「文系」の人たちにとって「algebra=代数」は必要なのか、という問題提起のようだ。

 ただ、注意したいのは、決して数学全体を否定している訳ではない、ということである。例えば、この記事では

Peter Braunfeld of the University of Illinois tells his students, “Our civilization would collapse without mathematics.” He’s absolutely right.

と述べているが、これを訳すと「イリノイ大学の Peter Braunfeld という先生は、学生たちに"我々の文明は数学がないと崩壊してしまう"と言っているが、それはもちろんその通りである」、となる。

 ところで、日本でこの手の議論をする際には「数学は必要か?」「数学は重要だ」「数学なんて使わなくても生きていける」などと、何でもかんでも「数学」という一言で語ってしまう上に、話している人によって「数学」という言葉が指している内容(数学のレベル)が異なるため、結局うやむやになってしまうことがほとんどのような気がする。

 一方、この新聞記事記事は「数学=mathematics」全体の話ではなく、あくまでも数学の分野の一つ「代数=algebra」の話で、かつレベルも(日本で言えば高校1年か2年程度の)方程式・多項式の計算や式の証明あたりに限定しており、うまく論点を絞っている。

 こういうとき、例えば「正多角形の作図が可能か?」という幾何学の問題を考えるために「高次方程式を解く」という代数の手法を使う必要がある、というように結局他の分野も関連してくるのだから(日本で言うと高校1年・2年程度の)「代数=algebra」に限定して議論するのはナンセンスだ、という人もいるかもしれない。

 しかし、ニューヨークタイムズ誌のような世界の人々が読む新聞では、世界各地の読者には様々な意見があることを承知の上で、あえて論点を絞って「問題提起」をすることによって、数多くの意見が寄せられるなど、反響が大きくなる、ということも考えられる。

 実際、これが掲載された後、ワシントンポスト誌に「Yes, algebra is necessary」と題する記事が7月30日に掲載されるなど、アメリカではそれなりに話題になったようである。まあ、意見は様々あるだろうし、「代数=algebra」との関わり方も人によってそれぞれだろうから、いくら議論しても結論がでそうもないが、こういう問題提起の仕方は参考になる。

 今回はついでに調べていて見つけた記事だったが、また面白そうな話を探してブログに紹介できるように今後も時間を見つけていろいろなところを見てみることにしよう。

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2012年9月 2日 (日)

ハーバード大でカンニング?

 昨日、今回のブログのネタは何にしようかと考えながら新聞を見ていたら「ハーバード大で大量カンニング?」という記事を見つけた。カンニングと言えば、日本では1年半ほどまえにも京都大学の大学入試のときのカンニングの話をこのブログでもとり上げたことがある。

 今回のものは、授業の期末試験での話だが、新聞記事をよく読んでみると「問題を持ち帰って解き、提出する形だった」と書いてあり、通常の試験とは異なるようだ。そもそもこれは試験なのか、などなど、気になることが出てきたので、いろいろと調べてみることにした。

 そこで検索してみたら、CNNのサイトにあった「Allegations of widespread cheating in government class probed at Harvard」という記事を見つけた。それによると、全部で279人が受講している「Government 1310:"Introduction of Congress"」という授業で行われたテストで起こったことらしい。また、よく見てみると実際のテストのPDFファイルへリンクが張られていた。

 そのファイルは「Gov 1310-Final Exam」というタイトルで、日付は2012年4月26日になっている。そして、最初の方を読むと「2012年5月3日の午後5時までに提出すること」などと書かれていて、さらに

・The exam is completely open book, open note, open internet, etc.

となっている。要するに、1週間程度の間に持ち帰って解くが、その際には本・ノート・インターネット等、何を見てもいい、ということだ。それに続けて

・However, in all other regards, this should fall under similar guidelines that apply to in-class exams. More specifically, students may not discuss the exam with others – this includes resident tutors, writing centers, etc.

と書かれている。要約すると、「教室で行われる試験と同等のガイドラインを遵守するべき」「他の人と試験について議論してはいけない」ということだが、だれかが監視している訳ではなさそうなので所謂「紳士協定」といった感じにも受け取れる。

 次に、「The Harvard Crimson」というハーバード大学の学生新聞の「Harvard Investigates "Unprecedented" Academic Dishonesty Case」というタイトルの記事。こちらはハーバード大学の学生が書いただけあって、もう少し詳しく書いてあり、学生らの話が載っている。具体的には、

・he or she joined about 15 other students at a teaching fellow’s office hours on the morning of May 3, (中略) one of the questions asked us about a term that had never been defined in any of our readings and had not been properly defined in class, so the TF had to give us a definition to use for the question.

と書かれている。要するに、「試験の問題の一つの中に授業で明確に定義や説明がされなかった言葉が使われていたが、5月3日(試験提出締切日)の朝、ある学生たちが約15人の他の人と一緒に相談にいったら、TF(teaching fellow)の人が問題で使われている言葉の定義を教えてくれた」という感じだろうか。

 ところで、この試験は「students may not discuss the exam with others」、すなわち他の人と試験について議論することを認めていない。個人的には学生の気持ちがわからない訳ではないが、この学生新聞に書かれていることが事実だとしたら、これに違反していることになるだろう。

 ただ、この場合、言葉の定義を学生たちに教えたTF(teaching fellow)にも問題はあると思う。だいたい、TFだってハーバード大学の試験の形式等はわかっているはずなのだから、たとえ学生が試験とは無関係の質問をしている可能性があったとしても「この質問内容が試験問題に関わることなら答えることはできない」とか「こういう試験では問題について話をすることが禁止されていることが多い」などと忠告するべきだろう。

 学生の不正行為については、いろいろな意見があるかもしれないが、やはり試験の際には不正されることを未然に防ぐことが重要だと私自身は考えている。そういう意味で、今回の問題は確かに不正をした学生は悪いのだが、それ以前に未然に不正を防ぐ手だてを何もしていない大学にも責任があるような気がする。

 さすがに日本では試験といえば普通は教室で行うし、持ち帰って行う課題は試験とは区別して「レポート」として提出するのが一般的なのでこのような中途半端な形式での試験はないだろうが、教える側だけでなく第3者的な立場の人たちも「不正を未然に防ぐ」という感覚で学生に接するべき、ということは日本でも同様だろう。

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