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2011年8月

2011年8月31日 (水)

前回資料の補足

 前回、正17角形の折り紙作図の手順をまとめた資料を作りましたが、実際に折ってみようと思った方のために、今回は私なりの資料の補足を三点ほど書いておきます。

 一点目。この作図のポイントとなるところはいくつかありますが、序盤で重要なのは (5) の工程で、点 C を決めるところです。

 適当に折っていると、交点が中心線より左にズレてしまったり、あるいは、ちょうど中心線のところで交わるように見えたりして、正しく「ほんの少しだけ右にズレる」ようにならないかもしれません。

 ただ、ここまでの工程で込み入っているのは (4) と (5) の2つのみで、それ以外は縦と横に折るだけなので、ある程度注意しながら折っていけば、点 C が本来あるべき位置に交わるようにできると思います。

 このときの気分は「数学で少し難しい問題を解いた結果、答えが違っていたので、それまでの計算を見直して、ちょっとした計算ミスを修正していく」というときと似たような感じだと思っています。

 実際、私自身は、この点 C が本来あるべきところに交わるように折れたとき、少し難しい問題が解けた後のスッキリした感じと似たような気分になりました。

 また、(5) までの工程がうまくいき、点 C がきちんと決まるようになったら、すぐに先に進まず、3枚、5枚...など、何枚でも構いませんが、ここまでの工程を折った紙をいくつも用意することをお勧めします。

 そうすると、

  1. 続きを折って失敗したら、ここからやり直せる(特に次に重要なポイントの工程(7)が失敗しやすい)
  2. 難しい問題を解けたときの風景」のような畑から、作物を収穫するような気分を体験できる

といった効果が期待できます。まあ、2.はともかく、1.は重要です。丁度いい具合に折れて気分がよく集中力も持続しているタイミングでたくさん折っておかないと、後で失敗したときに「あのとき、もっと折っておけばよかった」と後悔するかもしれません。

 二点目。工程を細かく分けた最大の目的は、適当なところで終わりにして後日続きができるようにするためです。実際、工程が非常に多く、最後まで一気にやろうとすると途中でくたびれて集中力がなくなってしまいます。

 そこで、例えば、ちょっと空いている時間に工程を一つか二つくらいずつ進めながら少しずつ折っていく、あるいは、以前このブログに書いた記事「「キリ」の善し悪し」のように、多少キリが悪そうなところで作業を中断しながら続きを折る意欲を持続させる、という工夫をしてみるのもいいかもしれません。

 なお、適当なところで終わりにする際には、資料にある実線・点線・点の記号を忘れずに書いておいてください。これを忘れると、後日折り紙を見たときに、わからなくなってしまいます。

 三点目。工程 (18) 以降の正17角形の頂点を決める部分は、私自身は正直なところ(非常に細かい作業になる割には)それほど満足感は得られませんでした。これは、私の折り方の精度があまりよくないことに起因しているかもしれません。

 誤差を具体的に認識できるのは、工程(18)の最後に「3」と中心を通る線で折ったときでしょう。折った際に「1」と重なるところが頂点「5」となるべき点で、ここは紙にギリギリ納まるくらいの微妙な位置のはずなのですが、実際に折ってみると「1」と重なるべき点が紙からはみ出してしまうことが私はよくありました。

 そんなことから、工程(18)の最後に「3」と中心を通る点で折り返したときに「1」と重なるところ(すなわち「5」)が紙からはみ出さなければ、作図はとりあえず「成功」と私は判断しています。

 ただ、それでも誤差はあって少しはズレてます。これが気に入らない場合は「完成する正17角形は上下対称になるはず」という別の数学的な性質を使って微調整するしかないかな、と思っています。例えば、「1」から頂点を時計回りに決めていくと同時に、「9」と「10」から反時計回りに頂点を決めていって、と考えたりしてみましたが、結局あまり要領のいい方法は思い浮かびませんでした。

 以上が資料の補足ですが、私自身は正17角形の形状にはこだわってません。 (1) から (17) までの工程で、一見すると正17角形とは何の関係もなさそうに思える直線や点が、本質的に必要な線を折るためには一つも欠かすことができないほど重要だ、ということを見る方が面白いと感じています。

 また、個人的には、実際に目で見える頂点を決める工程 (18) 以降では、それまで本質的に必要な線を得るために折った線や点は全く使わない、というところが如何にも数学っぽい雰囲気で気に入ってます。正17角形の形状にこだわっても、そこでは本質的な部分は使わないので、本質を知るためにはやっぱり数学が必要だ、という気分を体験できるかもしれません。

 さらに加えると、工程(18)が終わって、作図がとりあえず成功と判断できたときには、一見すると正17角形とは何の関係もなさそうにも見える、点 C の微妙な位置へのこだわりが懐かしくなり、数学の風景の雲海のような、雲の上の眺めを見ている気分になるかもしれません。

 ということで、資料の最後に書いたことを繰り返しますが、くれぐれも「寸分の狂いのない完璧な正17角形を折るぞ」などと気を張らずに気楽に折って、あまり人の手が加えられていない原生林を歩くような気分で、途中の過程を楽しんで頂けたら幸いです.

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2011年8月27日 (土)

数学に基づく方法

 先日、日経プレミアシリーズ(新書)の「ものつくり敗戦」(木村英紀著)を読んだ。副題には、「匠の呪縛」が日本を衰退させる、と書いてあり、日本の科学・技術や製造業などの業界が犯している過ちについて、さまざまな角度から論じている本である。

 私がこの本に興味を持った理由の1つは、その中に数学に関する話が出てくるからである。著者は本の中で、日本の工学研究では理論が重視されない、ということを問題視していて、その風潮は例えば「数学の停滞」にあらわれている、と序章に書いている。

 本文中では数学に関する記述はそれほど多くないが、読んでいくと、技術の世界で主導権を握っている「理論」「システム」「ソフトウェア」という、日本が苦手としている部分の多くが数学的な考え方を基盤に構築されていることなども書いてある。

 ただ、この本を読んだだけだと、何となく数学が重要そうな気がする、という程度しか伝わってこない感じがする。著者自身は、工学の制御理論の分野で数学を駆使して活躍する第一線の研究者だということで、この辺りのことはきちんと理解しているだろう。ただ、この本は研究者ではない一般の人向けの新書版の本なので、数学に触れることは最小限にしたのかもしれない。

 そこで、私が理解できる範囲で、まずは「日本のものつくり」の考え方は「数学に基づく方法」が根付いている社会の考え方と何が違うのかについて、少し考えてみることにした。

 その話のために、まずは以前作成した「正17角形の折り紙作図」をみてほしい。(次の写真はそのときに作ったもの)

Sei17ori

 これは「折り紙の数理と科学」のP.96からP.102の内容によるもので、作図のポイントは、「折り紙公理に基づいて折ることによって、中心角が 720÷17=42.35⋯度となるような直線を作る」ということである。

Kakudo1

 この図は、きちんと数学的に証明された正確な折り方に従ったもの、すなわち「数学に基づく方法」を利用して作成している。ただ、実際にやってみると、私のような素人だと常に正確に折れる訳ではないため、折った際に現れるちょっとした誤差が大きく影響して、かなりズレてしまう。

 それでも、写真のものは私が作った中では精度がいい方だ。実際、分度器で角度を測ると、引いた線(芯が0.5mmのシャープペンシルを使用)が分度器の42度と43度の間を通っていることがわかる。(ただ、最初の写真は正確な正17角形にはなっていません。)

Kakudo2

(もしよかったら、作図の手順をまとめた資料を作りましたので、この記事を読んだ後、そちら(この記事の最後に資料へのリンクがあります)もご覧ください。)

 と、ここまで正17角形の折り紙作図の話を聞いてどう思ったか。例えば「何だ。ズレていたら駄目じゃないか」と感じた人はいないだろうか。

 ここで、まったく違う秘伝の折り方で、より正確なものを作ることができる人(匠)がいたとしよう。そのとき、「正17角形の作り方を知らない人」は、私のような素人が折った結構ズレている「数学に基づくもの」と、信頼と実績のある匠が秘伝の方法で折った「寸分の狂いがないように見えるもの」と、どちらが「正しいもの」と判断するのだろうか。

 このような疑問を投げかけられたとき、いくら「数学に基づいた方法で作ったのだから正しい」と言われても、それが結構ズレていたりすると、結局「素人が作るものはズレているから駄目だ。やっぱり匠が作ったものこそが本物だ」という結論になることが多いのではなかろうか。

 一方、「数学に基づく方法」が根付いている社会では、このようなとき「寸分の狂いがないように見えても、やっぱり数学的に説明できない方法では信用できない」と考えるのではなかろうか。もう少し突っ込んで考えると、「多少のズレはつきもので、数学に基づいているかどうかが問題だ」という見方をするかもしれない。

 誤解のないように書くと、当然、匠が作ったものは「品質が非常に良い」という意味で高く評価されるべきである。ここで問題にしているのは、「正17角形の作り方を知らない人」が「その正しさ」をどのように判断する傾向にあるか、という点である。

 ただ、当然誤差が大きすぎるのはよくない。例えば、この正17角形の場合では、「42.35⋯度」と比べたとき、「0.5mmの太さの線が分度器の42度と43度の間を通っている」ことがわかれば、それより小さい精度で多少ズレていても仕方がない、といった意味付けは必要だろう。

 「数学に基づいていれば、合理的な説明が可能な程度の誤差は許容できる」という判断ができるかどうか。「日本のものつくり」と「数学に基づく方法」が根付いた社会の考え方の違いは、こんなところに現れているような気がする。

 ちなみに、折り紙の世界が「日本のものつくり」的かというと、そうではない。例えば「多面体の折り紙」(川村みゆき著)という本のP.86に「(数学的に正確な正17角形の)折り方は非常に折りにくく仕上がりも不安定であまり実用的ではありません。そこで.........で近似してやります。このときの相対誤差は......%です。」という記述がある。正確ではないが実用的な折り方を数学の考え(近似)に基づいて提示し、それによる誤差もきちんと計算している。

 他にもいろいろな要素があるかもしれないが、今の私の理解できる範囲ではこの程度の考察が限界のようだ。技術の世界で「理論」「システム」「ソフトウェア」が数学とどのように関わっているか、など、面白そうな話題はたくさんあると思うので、今後いろいろな形で理解を深めていきたい。

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追伸:
正17角形の折り紙作図の手順をまとめた資料を作ってみました。次のリンクをクリックするとPDFファイル(容量: 935,268 バイト)が開きます。ただし、容量が大きいので携帯電話の回線でブログを見ている方はお控えください。

正17角形の折り紙作図の手順

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2011年8月23日 (火)

Macの新OSを導入

 先月後半から今月中旬頃まで、まとまった時間パソコンに向かう時間があまりとれなかったが、先週やっと時間ができ、やっと我が家のMacBookProに新しいOS(Mac OS X Lion)をインストールするタイミングがやってきた。

 知らない方もいるとかもしれないので簡単に説明すると、先月Macの新しいOSが登場した。オンラインのApp Storeのみでの販売で、価格は2,600円という安さ。注文したりする必要はなく、App Storeからダウンロードするだけである。

 インストールも簡単で、App Storeからダウンロードが完了すると自動的にインストールが始まり、30分ほどで完了した。インストールが終わって最初に使ったときには「ログイン画面などの雰囲気がこれまでと変わった」「トラックパッドで2本指でスクロールしたときの動きが逆になった」など多少の違和感はあったが、3・4日使ってすでに慣れてしまった。

 とりあえず、手始めに「Mission Control」を使ってみた。簡単に紹介すると、複数のデスクトップや起動中のソフトを簡単に切り替えて使うことができるようにするもの。デスクトップの切り替えやソフトの切り替えを行う個別の機能は前のOSにも標準でついていたと思うが、これらを一つにまとめて新しくしたようである。

 「Mission Control」は利用するのは簡単で、4本の指先をトラックパッドに軽くつけたまま上に少し動かすだけ。すると、次のような画面が現れる。(パソコンで見ている方は、写真をクリックすると拡大します)

Lion_mission_control

 真ん中にあるのが、現在使っているデスクトップで、上に並んでいる小さい四角が切り替えて使うデスクトップ。今は、複数のデスクトップの壁紙をそれぞれ別の写真にして「見通しのいい眺めの写真」「森の中の清流の写真」「デフォルトの壁紙」の3種類のデスクトップを気分に合わせて切り替えて使っている。

 ちなみに、見通しのいい眺めの写真は前回紹介した「難しい問題が解けたときの風景」と同じ場所から向きを変えて撮ったもの、森の中の清流の写真は千曲川の源流沿いを歩いていたときに撮ったものである。

 デスクトップを切り替えるには、4本指をトラックパッドにつけたまま横に動かす。すると、iPhoneなどのスマートフォンやiPod touchと同じように、隣のデスクトップに切り替わっていく。次の写真は切り替わる途中の様子。(パソコンで見ている方は、写真をクリックすると拡大します)

Lion_desktop

 トラックパッドの使い方は、設定画面を見たら書いてあった。ここを見れば、トラックパッドの上で何本の指でどのように動かすと何ができるか、ということがわかる。次はそのうちの1つ。(パソコンで見ている方は、写真をクリックすると拡大します)

Lion_trackpad

 Macのノートパソコンを使ったことがない人はわからないかもしれないが、こうやって気分よく2本指、3本指、4本指をトラックパッド上で動かして便利にパソコンを使うことに慣れてしまうと、他のパソコンを使うのが煩わしくなってしまう。

 あとは、以前このブログにも書いたが、これまで新しいOSにするまでの間、必要最小限のソフトしかインストールしていなかったので、以前の古いPowerBookで使っていたソフトのうち、今後も使いそうなものをどうするか考える必要がある。互換性の問題もあるので、別途version upした同じソフトを購入するか、あるいは他の新しいものに代えるか、いろいろと吟味しながら環境を整えていくことになるだろう。

 こうして、また一つ新しいものに変わった。今回は、これまでよりも比較的スムーズに慣れることができたように思う。「次に何を新しくするか」といったことは今のところ考えていないが、時間的に余裕があるときを見計らって新しいものを今後も見ていくことにしよう。

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2011年8月19日 (金)

iPod touchで電子辞書

 先月「よく使うiPod touchアプリ」のことを書いてから1ヶ月と少し。これまでにコメントでもちょっと書いていたが、7月末までにキャンペーン価格で売っていたいくつかの辞書アプリを購入して、アプリが少し増えた。ここ最近は堅苦しい雰囲気の記事が続いているような気もするので、今回は気楽な感じでiPod touchで使っているアプリの話を久しぶりに書くことにしよう。

 6月の「英英辞典(OALD)」に加えて、7月は「大辞林」と「ランダムハウス英和大辞典」の2つを購入した。ランダムハウス英和大辞典は、7月中は4,800円(現在は6,100円)とキャンペーン価格でも少々高かったが、以前から大辞典が欲しいと思っていたことと、本だと15,120円するものが1/3以下の値段になっていたこともあり、この機会にアプリ版を手に入れた。

 これらに加えて「英辞郎 on the Web」「類語ナビ」というFree(無料)の辞書アプリを2つダウンロードして、何となく電子辞書的に使えるようにしてみた。ちなみに和英辞典の方は例えば研究社の新和英大辞典のようなアプリは18,000円もして非常に高価だし、中途半端なものはなくてもいいと思っている。

 ということで本格的な和英辞典はないが、6月に購入したOxford Advanced Learner's dictionaryのアプリ(DioDict版)には、よく見ると本の辞書の情報の他にOxford Learner's thesaurus(英語類語活用辞典)の一部も含まれているようで、Freeの和英辞典で日本語から英語の単語をちょっと見てから、それを英英辞典や英和大辞典で改めて調べれば何とかなる感じもする。

 大きな本の辞書を何冊も机に並べて同じ言葉を調べる、などということは暇つぶしのとき以外にはあまりしていなかったが、このように複数の辞書のそれぞれの利点を小さなiPod touchで生かして活用する、という点はとてもいい。これまで、和英辞典そのものにも少々不満を持っていたので、今後はこれを和英辞典としても活用できそうだ。

 また、今回はキャンペーン価格(450+1,500+4,800=6,750円)で辞書アプリを揃えたが(ちなみに、今購入すると2,200+2,500+6,100=10,800円)、電器店などで売っている英英辞典や大辞典などを組み合わせた電子辞書を少し調べてみると、どこのメーカーも高価な感じなので、何となく得した気分にもなる。

 こうやって揃えていくと、自然な成り行きとして、他にもいろいろな使い方を探してみたくなる。ただ、費用も最小限に抑えられる方がいいので、時間があるときに情報をチェックしながら便利に使えそうなアプリが揃えていくことにしよう。

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2011年8月15日 (月)

数学を色に例えると

 先日、とあるところで「数学を色に例えると何ですか?」という問いかけがあった。そんなことを考えたことはなかったが、少し考えて「緑」と答えた。すると、「緑と答えた人は初めてです」と言われてしまった。

 どうも、数学のイメージとして「青」を挙げる人が多いそうだ。私も急に聞かれたので、その場で何となく答えたのだが、折角他の人とは違う色を思いついたので、後付けになってしまうが、「数学の色=緑」の理由について少し考えた。

 とりあえず、風景を数学にまつわる状況に例えてみることにした。例えば、数学の問題を見てもどこから手を付けていいかわからず困り果てている風景はこんな感じだろうか。

Ussou

 これは、(7月後半)高校生を引率して(仕事で)千曲川の源流沿いを通って甲武信ヶ岳山頂へ向かう途中で撮ったもの。鬱蒼とした緑の森の中、人が通ったところ(登山道)はあるものの、所々木が倒れていたりして、何も考えずに足を踏み入れるのはとっても危険そうだ。

 次に、普段の勉強の中で難しい問題が解けたときの風景。

Hatake

 これは、(先週)引率とは別の仕事の都合で長野に行った際に車で移動中にちょっと停まって撮ったもの。整理された緑の畑が一面に広がっていて、たくさんの実りが期待できそう、という感じである。実は、この風景を見た後すぐに行ったところで「数学を色に例えると…」という話があったので「緑」と答えたのかもしれない。

 今度は、もっとレベルが上がって、様々な知識を身につけながら、あるいは、苦しい勉強に耐えながら、やっとの思いで結論を得たときのイメージ。

Unkai

 この雲海の写真は、(8月初め)やはり引率の仕事で南アルプスの甲斐駒ケ岳に登る途中(仙水峠)、朝5時くらいに撮ったもの。緑の原生林の中を、夜明け前の暗い時間に出発し、1時間以上原生林や岩場を通ってたどり着く場所である。

 厚い雲の下では、(前回の記事で書いたように)私と同様、ワケもわからずに大雨に遭っている人がいるかもしれないが、その同じ瞬間、同じ場所の雲の上を眺めている人もいるかもしれない。数学の問題は、何となくこれと似ている気がする。

 あるいは、普段からの体力作りや健康管理をしっかりし、事前の準備もきちんと行った上で、緑の原生林の中を、夜明け前、ヘッドランプの明かりだけを頼りに正しい道を探しながら進んでいく。これは数学の勉強のイメージにかなり近そうだ。

 こじつけもあるかもしれないが、こうやって考えてみると「数学の色=緑」というイメージも悪くなさそうな気がしてきた。ちなみに、写真に撮った雲海を見た後、山頂に着いたときには霧が充満していて何も見えなかった。まだ私も数学の勉強が足りないのかもしれない。今度は山頂からの眺めが見れるように、もう少し勉強も頑張ってみることにしよう。

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2011年8月11日 (木)

「何故」を英語にすると

 最近、急に大雨が降ってくることがよくあり、私が住んでいる地域では連日のように大雨・洪水警報が発令されている。当然、天気も毎日晴れだか曇りだか雨だかよくわからないので、外出の際は傘は必ず持っていかなければならない。

 また、8月8日が立秋ということで暦の上では夏は終わったようだが、このままの天気だと、本当に夏は終わってしまってしまったのではないか、と思ってしまう。やっと仕事も落ち着いてきて、私にとっての夏休みが近づいてきたのに夏の季節はすでに終わってしまった、という形は何とも寂しい気がする。

 それにしても、ここ数年、夏の天気が変である。私の「夏の天気」のイメージは、7月半ばくらいまでは梅雨でスッキリしない天気が続くが、梅雨が明けると8月半ばの旧盆あたりまでは連日快晴、という感じなのだが、最近の天気はこれとは違うようである。

 ところで、最近の大量の雨が一度に降る集中豪雨がなぜ起こるのかが少し気になって調べてみた。例えば、気象庁のsiteにある気象FAQのページ「雨・雪について」の中の「集中豪雨はなぜ発生するのですか?」という項目がある。そこには「積乱雲」「地表面付近の暖かく湿った空気」「上層の冷たく乾いた空気」という、天気予報でよく聞くフレーズを使って集中豪雨を引き起こす状況と原因が書いてある。

 ただ、積乱雲が発生する状況はあっても、その状況から積乱雲や集中豪雨が発生する過程がはっきりとは書いてない。これでは質問にきちんと答えていないのではないか、などと考えていたら、ふと夏に英語を勉強しようとしていたことを思い出した。そこで、とりあえず「集中豪雨はなぜ発生するのですか?」という文を英語に訳してみることにした。

 直訳してみると「集中豪雨=heavy rain」「なぜ=why」「発生する=occur」となるような気がするが、実際に英文にするとどうなのか。例えば、「Why does heavy rain occur?」という文をgoogleで検索してみても、この文は見当たらないようである。そこで、もう少し検索結果を見てみたら、次のような文が現れてきた。

1. How does heavy rain occur?
2. What causes heavy rain fall?

 1.の文は「answer.com」というsiteにあったものである。集中豪雨の理由を聞いているとはいえ、「どのように発生するのか」と質問したい時は「How」の方がふさわしいのかもしれない。一方、2.はyahoo(英語)の質問siteにあったものである。「What causes … =(その)原因は何?」ということで、原因となるものについて具体的に質問しているようだ。

 ということで、元々の「集中豪雨はなぜ発生するのですか?」という疑問文だけ見ていても、その英訳がどうなるのかは曖昧なままであった。そこで、この疑問に対する気象庁の回答をもう一度思い出すと、集中豪雨を引き起こす状況や原因が書いてあるが発生過程はあまり書かれていないので、この場合は2.の「What causes heavy rain fall?」の方がふさわしいのではないか、という結論に至った。

 回答の中身を見てから質問文を考えるのは何となく変な気もするが、私は英語が得意ではないので仕方がないのかもしれない。ただ、少なくとも英語で質問をするときには「何が知りたいのか」が明確になっている必要があることは理解できたと思う。また、日本語では、その辺りが曖昧になっていることもわかったような気がする。

 最初は豪雨のことを調べようとしていたのだが、質問文のことが気になって雨の話から離れてしまった。ただ、こんなことを考えていたら雨のことも気にならなくなってきたので、まあいいだろう。とりあえず、これからは「何故」という質問をみたときには、何を聞いていて、その回答では何を答えているのか、ということを意識しながらいろいろな情報をみる癖をつけるようにしていこう。

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2011年8月 7日 (日)

プライバシー・ポリシー

 7月末から先週までの私の行動(仕事)を知っている方は「いないはずなのに何でブログが更新されたんだろう」と思ったかもしれない。実は、仕事の都合で留守にしていた期間も、日時を指定した自動更新により4日おきのペースを維持していた。

 まあ、勝手に思いついたことを書いているだけなので、別にペースにこだわらなくてもいいのでは、という考えもある。ただ、以前、ある方から「ブログをいつも定期的に更新している人が、たまたま更新しなかったときに『何かあったのではないか』と皆が心配して大騒ぎになったことがある」という話を聞いたことがあったので、そうならないようにした、という訳である。

 また、このブログのタイトルを見てもわかるように、私は自分の本名を名乗って文章を書いている。もし本名を使っていなければ、このようなことに気を遣う必要はなかったかもしれない。ただ、今更ブログのタイトルを変える気もないし、これも仕方がないことだと思っている。ということで、このブログは私の行動予定とは無関係に定期的に更新される読み物、と理解して頂けたらと思っている。

 ところで、「本名を使う」と言えば、最近googleの新しいSNS(google+)で「本名を使う」というポリシーの是非に関する記事をネット上のどこかで見た。私自身は本名は名乗っているので、この是非に関する意見は特にない。ただ、それ以前の「プライバシー・ポリシー」については何となく不信感を持っている。

 実際、この辺りは非常に曖昧なところがあるように思う。これはgoogleに限ったことではないのだが、今回はgoogleを例にして話をしてみることにした。

 例えば、googleのプライバシー ポリシー(日本語)の「Google が収集する情報およびその利用法」のところは


・「Google は、次のような情報を収集させていただく場合があります:」


という文から始まっている。最後の「場合がある」という文言は何なのか。そもそも、この文章は英語を訳したもののはずだが、googleのprivacy policy(英語)の同じ部分は次のようになっている。


・「We may collect the following types of information:」


この文の「We」は「Google」である。これを見ると、英語の「may」の日本語訳が「場合があります」ということのようだ。私は、英語は得意ではなく、第一人称の主語と「may」を組あわせといっても、「May I come in? → Yes, of course.(入ってもいい? → もちろん。)」という会話文程度しかしらないので、「may」の訳として「場合がある」がふさわしいかどうかはわからない。

 他にも、よくわからない文章はある。例えば「情報の共有」に関して次のように書いてある。


・「ユーザーの事前の同意なしに、センシティブな個人情報を共有することはありません」


 この文は、かなりあやしい。特に、「センシティブ」を日本語に訳していないところが不信感を増幅させる。さらに言えば、これは「sensitive」という単語を使っている英語の原文も同様にあやしい。要するに、「センシティブ」でない個人情報の共有には同意は必要ない、ということなのだろう。

 これから判断すると、例えば「個人の本名」という情報は「センシティブ」ではないと判断されているに違いない。他にも、前に記事でも少し書いたが、googleのプロフィールは知らないうちに勝手に作成される可能性があるし、自分で非公開の設定をしない限り公開されてしまうので、「プロフィール欄」の情報も(その内容に関わらず)、ネットサービスの業者では「センシティブ」ではないと判断しているのかもしれない。

 いろいろ書くとキリがなさそうなので今回はここまでにしておくが、ネットでサービスを展開している業界も、本名やプロフィールなどの「情報の共有」についても少しは「センシティブ」になってほしいと思っているのは私だけだろうか。

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2011年8月 3日 (水)

英英辞典の中の「数学」

 前回調べた、広辞苑の中の「数学」は、泉鏡花の文献が引用されていたり、何となくのどかな雰囲気であった。今回は、それに引き続いて英英辞典の「数学=mathematics」の項目から始めることにする。

 早速だが、Oxford Advanced Learner's Dictionary (OALD)には「数学=mathematics」の内容を引用する。


mathematics:
(1) the science of numbers and shapes. Branches of mathematics include arithmetic, algebra, geometry and trigonometry.
(2) the process of calculating using numbers.


直訳すると、(1)の前半は「数と形の科学」、(2)は「数を使う計算のプロセス」という意味で、シンプルに書いてあるようである。ただ、(1)の後半の「Branches(分野)」に挙げられた項目が少し気になる。直訳すると


*arithmetic = 算術
*algebra = 代数学
*geometry = 幾何学
*trigonometry = 三角法


である。この中で、特に最後の「trigonometry = 三角法」って何?と思った人がいるかもしれない。日本では高校の1年か2年のときに習う「三角比・三角関数」の単元である。sin・cos・tanが出るところと聞くと、それだけで顔をしかめる人も多いに違いない。

 また、そうでない人も、三角関数の単元が代数学・幾何学などと並列に書いてあるのは少々違和感を感じるかもしれない。ちなみに、前回の記事で書いた広辞苑では「代数学」「幾何学」「解析学(微分学・積分学およびその他の諸分科)」が(1)に挙げてあり、さらに(2)をよく見ると算術のことも書いてある。

 ここで、広辞苑に挙げられた分野は何となく納得できるが、「何故、三角法(三角関数)が数学の分野の一つ?」と疑問に思った人は、ぜひ Wikipedia(英語)の「Trigonometry」の項目を見てほしい。その項目は


*Trigonometry is a branch of mathematics that studies …


という文章から始まっている。直訳すると「三角法は…を勉強(研究)する数学の一分野である」という感じである。

 実際に「三角法(三角関数)」を「代数学」や「幾何学」と同列の分野として扱っていいかはともかく、Wikipediaの「一般の人が作成編集する」という趣旨から考えると、これが世界の常識だと理解した方がいいだろう。

 Wikipedia(英語)の「trigonometry」を見ると、他にも


*The trigonometric functions are pervasive in parts of pure mathematics and applied mathematics (中略), which are in turn essential to many branches of science and technology.


という文章がある。これは「三角関数は、科学技術の多くの分野に本質的に関わる純粋数学や応用数学に幅広く用いられている」といった意味だろうか。この文章は、高校数学くらいまでの内容を普通に勉強した日本の人でも、ずいぶん誇張している表現に思えるかもしれない。

 正直なところ、高校の数学の範囲を学んだだけでこの文章の事柄が理解できるほど甘くはないだろう。さらに数多くの知識を積み上げていっても、やっとボンヤリと片鱗が垣間みれる、という程度だと思う。そもそも、この文章は「実際に用いられていることが目に見える形ではわからないかもしれないが、本質的な部分に三角関数が関わっている」ということを表現しているような気がする。

 世界中の多くの人の中で三角関数のことを理解している人は少数派だろう。ただ、Wikipediaの文章を見ると、専門家だけでなく、ごく普通の人も、この常識は受け入れているように思える。数学が得意か苦手か、とか、どこでどう使われているか、などということは問題ではない。常識として受け入れることができるか、という点が重要なのだろう。

 「数学」という言葉を調べていたら、思わぬ方向へ展開してしまった。私は文学のことはよくわからないが、文学作品の引用を交えて書かれている広辞苑の文章は悪くないと思う。それと同じように「三角法・三角関数」がよくわからなくても、英英辞典(OALD)に書いてあることは悪くないと思える。いろいろと書いてみたが、有名な辞書に書いてある内容というのは、そんなものなのかもしれない。

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