« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

2011年4月29日 (金)

「キリ」の善し悪し

 おととい、ブログのカウンター(PCのページ)の数値が10000を超えた。前回「何となくキリがいい」を書いた2日後のことであった。(アクセスして下さっている皆様、ありがとうございます。)せっかく数値の方もキリよく10000を超えたので、もう少し「キリ」について調べてみた。

 今回は、辞書は使わず、「キリ」という言葉がどういう風に使われているのかを見るためにgoogleで検索してみた。例えば「キリがいい」で検索してみると、上位にくるものは「数値のキリのよさ」に関するものが目立っているようである。実際、私も「30個の記事を書いたので何となくキリがいい」「10000を超えてキリがいい」など、数値を基準にしてキリのよさを判断することが多い。

 一方、「キリが悪い」の方は、「物事のキリの悪さ」に関する事柄が多かった。また、検索の上位になっているものの中には、「キリが悪い所で終わっておけば、次の日に直ちに続きに取りかかることができる」というような「キリの悪さ」をポジティブに利用する趣旨のものもある。

 この「キリの悪さをポジティブに利用する」ということは、私にとっては新鮮な発想で、何となく面白そうだ。そこで、自分なりにこのことについて考えてみることにした。

 この話をもう少し詳しく書くと、物事を続けて行う際に「キリの悪さ」を利用して、区切りをつけずに中途半端な所で終わっておけば、次はその続きをすればいいので、やるべきことが明確になっていい、という趣旨のものである。

 確かに、この考え方は理にはかなっているような気がする。ただ、実際には「キリのよさ」と「キリの悪さ」のバランスが重要だと思う。例えば、テレビなどで中途半端な所でCMが入ったりするが、そのときの「中途半端さ」というものは「もうちょっとなのに...」と思わせる所がほとんどである。

 「何となく先が見えそう、というちょっと手前」という「キリの悪い所」で区切りをつけることで、「キリのいい所」も見えてくる。そうやって、物事を続けるためのモチベーションを維持しながら次にやるべきことも明確させる、という形であれば「キリの悪さ」をうまく利用できるかもしれない。

 こう考えてみると、逆説的になってしまうかもしれないが、結局「キリの悪い所」という「区切り」も「キリがいい」ということなのだろう。数値で判断する「キリのよさ」とは異なるので、判断が難しく私自身が実践できるかどうかわからないが、今度授業などで話をする時に試してみるのも悪くないかもしれない。

--------

Copyright (c) 2011 ANADA, Koichi. All Rights Reserved.

| コメント (0)

2011年4月25日 (月)

何となくキリがいい

 今年は大震災の影響もあって、4月にスタートという気分になれない部分もあったが、今週末・来週はゴールデンウィークの休みを利用して、リフレッシュして「5月からスタート」という形も悪くない。

 また、3月の年度末には自粛ムードもあったが、「久しぶりのマラソン」の記事でも書いたように、最近は普通に生活して日本を活気づける、という雰囲気も出ている。そういう意味で、連休明けからスタート、というのは何となくキリが良さそうである。

 そんなことを考えながら、4日ごとのブログの更新を、と思いページを開いてふと気がついたことがある。前回はまったく気がつかなかったが、前回の4月21日で、今年に入ってちょうど30個の記事を書いたことになっていた。こちらの方も何となくキリがよい。

 ということで、今年で31個目となる今回は、今年に入ってこれまでに書いた記事などを整理して、5月の連休明けからのスタートに備えようと考えてみた。

 今年に入って前回までにどんな記事を書いたのかを調べてみると

  • 日記・コラム... 11
  • ジョギング... 4
  • ニュース... 6
  • 地域のこと... 3
  • その他... 6

といった感じである。だた、「日記・コラム」と「その他」に含まれるものは、どのカテゴリーに入るのかよくわからなかったものが多いので、ゴールデンウィークの休みに入って暇なときに改めて細かく分類しようと思う。また、記事の個数もキリがいいので、前回までの記事を「過去の記事のメモ」の項目に加えることにしよう。

 今年のこれまでの内容を振り返ってみると、副題の「前を向くために...」ということをあまり気にせず書いていた割には、1月に書いた「失敗・成功のことわざ」や震災後の「応援する気持ち」「普段の生活のペース」などのように副題の趣旨とだいたい一致しているものもあるようだ。

 また、大体の記事は、意欲をマイナスにしないような方向で書けているように思う。去年「意欲の傾き」に書いたが、何とか意欲もプラスで維持している感じである。

 このブログの最初の記事「前を向け!」も少し読みなおしてみたが、あまりよそ見をせずにその時々でとりあえず何かしようと考えていると、特に意識していなくても自然と何らかの方向へ進んでいくものなのかもしれない。

 こうやって見直してみると、「5月からスタート」という形は、スタートダッシュするよりは「少しずつプラスを維持しながら気分新たに」という感覚が良さそうだ。休みの間に、これまでの整理と今後の計画を考えながら、気張らずに前を向いていくことにしよう。

--------

Copyright (c) 2011 ANADA, Koichi. All Rights Reserved.

| コメント (1)

2011年4月21日 (木)

「結果」という単語

 新しい年度がスタートしたばかりだと思っていたが、いつの間にか4月もあと10日しかない。「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、油断しているとこのまま何もせずに終わってしまいかねない。かといって、「では何をやろうか」と急に考えてもすぐに思いつくものでもない。

 こういうときには、何をやるかを考える前に「何のためにやるのか」ということが気になってしまう。また、「これをやったら結果はどうなるのか?」ということばかり考えてしまうことも多く、結論がなかなか出ない。

 そんなことを考えていたら、ふと「結果よりも過程が大事」という言葉を思い出した。そういえば、この言葉にもいろいろな意見がある割には、何が大事なのか結局わからないまま終わることが多い。そもそも「結果」という言葉が何をさしているのか、非常に曖昧である。

 そこで、いつものように少し調べて見ることにした。「結果」を広辞苑で調べると


  • 実を結ぶこと。結んだ実。結実。

  • 原因によって生み出されるもの。また、ある行為によって生じたもの。その生み出された状態。


とある。何となく予想していたことだが、私にはこれを見てもよく理解できない。少なくとも、「結果」について考えてみても曖昧に終わってしまう理由は何となくわかったような気がする。

 そこで、これもいつものように、英語にしてみることにした。「結果よりも過程が大事」の中の「結果」は「result」が適していると思う。それを調べると次のようになっている。


  1. the effect or outcome of something

  2. a successful and pleasing outcome

  3. a statement of the score, marks or name of the winner in sporting event, a competition, an examination, etc.

  4. a statement of the outcome of a scientific or medical test

  5. the answer to a mathematical problem


1は大体同じ意味だが、加えて2〜5にいろいろ書いてある。

 これを見て思い出したが、よく欧米の人が「結果と過程のどちらが大事か」の議論をする時に、科学実験などを例に出すことが多いが、それは4のような意味が含まれているからなのだろう。

 これで、日本語の「結果」の意味は英語の「result」ほど具体性を持っていないことはよくわかった。ただ、いつもは英語で具体的な意味を知ると実際に理解が深まるのだが、今回はまだそこまでいってないような気がする。これは文化の違いによるのかもしれないが、日本語の「結果」の意味は、単に他の言語に直して考えても理解することができない部分があるのかもしれない。

 結局のところ、「結果」という単語について考える、という問題は非常に難しそうだ。こんな難しい問題をあれこれ考えるよりも、何でもいいから具体的にやってみた方が、結局はいい結果が得られるような気がしてきた。とにかく考えるより前に何か行動をするように心がけることにしよう。

--------

Copyright (c) 2011 ANADA, Koichi. All Rights Reserved.

| コメント (0)

2011年4月17日 (日)

久しぶりのマラソン

 先月の大震災以来、全国で大きな大会はほとんど中止になっている。そんな中、先週久しぶりにマラソン大会に参加した。規模があまり大きくないローカルな大会で、運営の方々が細かいところまで気を使いながらの開催となったようである。

 実のところ、3月に申し込んでいた大会は結局全て中止になってしまったので、大会に参加するのは2月の青梅マラソン(「今回は無難に完走」で参加報告)以来である。ブログでもそれからジョギングの事を書いていなかったので、今回は久しぶりにジョギングの話題を書いてみることにした。

 参加した大会は、公園内の1周4.652kmのコースを9周+327m=42.195km走るコースで行われた。その開会式の際には、「被災者の方々から『普通に生活できる人が元気に普段の活動をして日本を活気づけてほしい』という趣旨の心強いメッセージを頂き我々も元気に走って日本を活気づけていきましょう」という話があり、震災の犠牲者の方々へ全員で1分間の黙祷を捧げた後にスタートとなった。

 黙祷をしているとき、ふと以前書いた記事(スタートライン)のことを思い出した。そこに書いたことと意味合いは少々異なるかもしれないが、スタートラインにつくまでの苦労を忘れずに、これから頑張ることにしよう。

 いざスタートしたが、この日は風が非常に強いうえに、時折雨がぱらつくようなコンディション。さらに、最も上りがきついところで猛烈な向かい風になるような悪い条件だったため、最初はペースを抑え気味で走り初めることにした。

 普段よりペースを落としたといっても、猛烈な向かい風の上り坂を全部で9回も越えなければならないのはさすがにきつかった。ペースはさらにダウンして最後の2周ほどは坂を越えるのが精一杯、という状態であった。

 結局、42.195kmを4時間38分40秒かかって何とか完走することができたが、走ってこれほどきつく感じたのも久しぶりだった。

Kansou_110416

 これは、ゴール直後に発行される完走証(の一部)である。ペースが遅かったにしても、こうやって形に残るものがあると、何となく「やり遂げた」という気分も出てくる。

 また、こうやって形に残ると次回以降の結果と今回を比べる楽しみがまた一つ増える。そんな日常の繰り返しが結果的に周りを活気づけることができれば良いのだが、と思いつつ、次へ向けてまたボチボチ走ることにしよう。

--------

Copyright (c) 2011 ANADA, Koichi. All Rights Reserved.

| コメント (0)

2011年4月13日 (水)

夏の節電目標

 最近ニュースで夏の電力不足がかなり深刻であることをよく耳にする。そこで、当然夏の節電に関することが気になるのだが、どの程度節電すればいいのだろうか。政府は「一般家庭の自主的な節電目標を15%~20%削減とする」と言っているが、それだけでは何となくピンとこない。

 そもそも、この削減目標が実現可能かどうかもよくわからない。そこで、過去の消費電力について調べて、15%〜20%削減がどの程度のものなのか少し考えてみることにした。

 ちょっと検索をしてみたところ「電気事業連合会」のwebページで、毎月の電力需要実績のデータを見ることができた。これによると、例えば昨年の8月の東京電力管内全体の消費電力合計は27,770,684,000 kwとなっている。その中で、一般家庭分の消費電力合計の大体の数値は「従量電灯」の項目でわかるようで、それをみると

  • 2010年8月 従量電灯=6,817,956,000kw

である。これを基準にして単純に計算すると

  • 2010年8月×0.8 =5,454,364,800kw

が、20%削減後の消費電力となる。この数値はどの程度のものなのか。例えば、消費電力が比較的少ないと言われている5月のデータと比較してみる。

  • 2010年5月 従量電灯=5,336,206,000 kw

 これは、8月の20%削減よりもさらに少ない。夏の暑さをどの程度我慢できるかはわからないが、5月よりはちょっと多めに使っても何とかなる、と思えば「15%〜20%削減は我慢すれば実現可能」と考えることはできるかもしれない。

 また、ちょっと見方を変えて過去の8月の中で消費電力が少なかった2003年の数値を見てみる。

  • 2003年8月 従量電灯=5,620,699,000 kw

 この2003年は、記録的な冷夏となった年である。2010年8月と比較すると、約17.5%少ない。冷夏の悪影響についても考える必要があるかもしれないが、電力削減の観点で見ると、この年と同様の気候だったら我慢しなくても17%以上削減可能、ということができる。

 このことから、15%〜20%削減という目標は「この冷夏の年と同程度の生活をすれば実現可能な目標」と言い換えることができるだろう。これくらい調べてみると、政府の言っている目標が具体的に見えてきたように思える。

 また、こうやってみると「少しは節電のために我慢してみようかな」という気分にもなってきた。今年の夏は、計画停電の回数も少ない方がいいので、夏バテしないような対策もきちんと考えて節電を心がけるようにしよう。

--------

Copyright (c) 2011 ANADA, Koichi. All Rights Reserved.

| コメント (1)

2011年4月 9日 (土)

桜を見にちょっと寄り道

 計画停電も4月に入ってから一度も実施されることもなく、やっと落ち着いて先のことを考えることができるようになってきたように思う。そんな中、4月6日に東京で桜が満開になったと発表された。

 前回の記事は健康に関するちょっと暗めな話題を書いたこともあり、加えて余震もかなり大きなものが一昨日の夜にあったりなど、急に花見気分に切り替わる訳でもないのだが、ちょっとでも気分転換にと思い、昨日の朝の出勤途中でちょっと寄り道して桜の写真を撮ってみた。

Sakura11

 場所は、東京・王子の飛鳥山公園。朝7時ちょっと前に撮ったので少々暗かったせいもあるが、よく見ると結構つぼみも残っていて、ここの桜はまだ満開にはちょっと早かったのか、控えめなピンク色の写真となってしまった。

 知っている人も多いと思うが、ここ飛鳥山は江戸時代の八代将軍徳川吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、庶民の行楽のために桜を植えて公園にしたところだ。今でも都電が走っていたり、庶民的な場所だと思う。

 よく電車で通るので見てはいたが、実際に公園に来るのは確か8〜9年くらい前に花見に来て以来で久しぶりである。ちょっと寄っただけではあるが、いい気分転換になった。一昨日の夜にもかなり大きな余震があって安心できる段階ではないが、時にはこういった息抜きも必要だろう。

 将軍吉宗が桜を植えた時期も、江戸幕府も財政は逼迫し倹約令により質素・倹約が奨励されていたときである。人の心は時代が変わってもそれほど変化はないはずだ。どんなことがあったとしても、この時期の花見まで自粛してしまったら、かえって今後に悪い影響があるのではないかと、むしろ心配になってしまう。

 根拠がある訳ではないのだが、日本人は何らかの形で季節感を感じることで上手に気分転換ができる人たちが多いのではないかと思っている。今日は予報ではあまり天気がよくなさそうだが、幸いにも満開だと発表された割には、つぼみも多く、もう少し桜の見頃が続きそうだ。また来週時間が空いた時にでもぶらっと桜を見に寄り道でもしてみることにしよう。

--------

Copyright (c) 2011 ANADA, Koichi. All Rights Reserved.

| コメント (0)

2011年4月 5日 (火)

「健康への影響はない」とは?

 最近、原発事故の影響か、毎日毎日「健康への影響はないレベル」という言葉をしつこいくらい聞かされている。確かに、この言葉は間違っていないとは思う。ただ、放射線や放射性物質の人への影響に関する数値を聞かされても何となくピンとこない。

 そもそも「健康への影響はない」とは、どういう意味なのだろうか。広辞苑をみると、「健康」とは

  • 身体に悪いところがなくすこやかなこと。達者。丈夫。壮健。
  • また、病気の有無に関する体の状態。

とある。おそらく最近聞いている「健康」は、後者の「病気の有無に関する体の状態」ということであろう。また「影響」を調べると

  • 他に作用が及んで、反応・変化があらわれること。また、その反応・変化。

となっている。これらを合わせて考えれば、

  • 「健康への影響はない」=「病気の有無に関する体の状態は以前のまま変化はない」

ということになる。これで言葉の意味は理解できた。ただ、それだけでは自分自身の健康について安心することができないこともわかったような気がする。結局、この言葉の本当の意味は「健康はこれまでと同様に自分自身で守っていくしかない」ということなのだろう。

 そこで、原発事故以前に普段の生活の中で健康リスクがどの程度あるのかについて少しだけ調べてみた。例えば、がんに関すること。被曝によるがんの発生リスクも気になるかもしれないが、それ以前に日本人はどの程度の割合でがんになっているのか。財団法人・がん研究振興財団の「がんの統計'09」によると、日本人男性の54.5%、日本人女性の40.7%が生涯のうちにがんと診断される、という結果が出ている。

 念のため、これには当然、早期発見されて今でも元気に生活をしている方々も含まれているが、元々我々のがんになるリスクは小さいものではない。また、私はタバコを吸わないので調べていないが、例えば喫煙は程度によって「がん発生に影響を及ぼすレベル」であることが統計的に証明できる、という話はよく聞く。

 他にも「ストレス」「運動不足」など、普段の生活の中に健康に影響を及ぼすものはたくさんある。確かに、現在の放射性物質の量は「健康への影響はないレベル」だとは思うが、この言葉だけが独り歩きして、他の影響を及ぼす可能性のあるものを忘れることがないように心がけることにしよう。

--------

Copyright (c) 2011 ANADA, Koichi. All Rights Reserved.

| コメント (0)

2011年4月 1日 (金)

普段の生活ペース

 大震災があってから、何となく思いついたときに書いていたつもりでいたが、よく見てみたらちょうど3日ごとに更新を続けていた。3月の初旬までは4日ごとのペースだったが、何となく3日程度の間にネタになることを思いついて、その後に少し辞書や本を調べながら書く癖が自然についていたのかもしれない。

 特に何も調べないで思いつきで書いていた分だけ1日短いペースで更新できていたのだろう。今日も思いつきで文章を書いているのだが、ちょうど年度が変わってキリもいいので、次の更新から以前の4日ごとに戻してみようと思う。

 ところで、ブログの更新に限ったことではないが、3月11日の大震災の後、何となく前とは異なるペースで生活をしていたように感じていたが、今考えてみると実際には以前とそれほど変わらない部分も多い。

 例えば、節電に関すること。3月11日以降、やっぱり我慢できるところで無駄に電気を使わないように心がけようと、家では暖房器具のスイッチはつけていない。

 こう書くと、いかにもこれまでよりも節電しているように見えるが、実のところ私は元々エアコンの乾燥した風がどうも苦手で、普段から特に寒い日を除くとスイッチをつけない日も結構多かった。そんなこともあって、これまでも部屋では結構厚着をして過ごす癖がついていて、節電を意識していても、以前とそれほど変わらずに過ごすことができている。

 もう一つは、車の運転。一時期ガソリン不足が話題になった影響で、ガソリンを無駄遣いしないように、あまりアクセルを踏み込まないエコ運転を心がけていた。実際、震災直後の1週間は、走っている車の多くがエコ運転をしていた関係か、どの車も非常にゆっくり走っていたように思う。ただ、私自身は以前からスピードをあまり出さずにのんびり運転するタイプだったので、周りの車に合わせてゆっくり走っても特にストレスを感じることもなかったと思う。

 他にも震災当日や計画停電のときにエレベータが使えずに歩いて階段を登ったときは結構きつく感じたが、よくよく考えてみれば登山のときよりも持っている荷物は少ないし、足の疲れも一時的でマラソンのときのように後に残ることもない。

 これまでのペースが良かったのかどうかはわからないが、新年度に入って気分を切り替えても、普段の生活ペースをそれほど変える必要はなさそうである。ひとつだけ、ブログの更新のペースは4日ごとに変えて、次回からは思いついたことだけでなく、もう少し調べて文章を書くことにしよう。

--------

Copyright (c) 2011 ANADA, Koichi. All Rights Reserved.

| コメント (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »